2016.08.09 同好の士 ***8/6桜沢の遡行に***


 同好の士があるのは幸せなことだと思う。ひとりで山を歩くのも好きだが、仲間と山を歩くのはもっと楽しい。ひとりで歩くときの緊張感と気楽さも捨てがたいが、仲間と歩くときの安心と歓びはさらに捨て難い。
 
ひとりで歩くことがあるとはいっても、山を歩く作法は、どれも同好の士から学んだものだ。登山の初め、学生時代はクラブの先輩や同期生から登山が何であるかを学び、社会人になってからは、優れた先輩から登山やスキーの楽しさを教わった。それは、生きることの喜びそのものだったといっても良い。
 
50歳を過ぎてからは、単独で沢登りをはじめその緊張と興奮にのめりこんだ。やがて仲間を求めて、講習会に通ったり同好会に入会させてもらったりした。そのおかげで、単独では歩けない沢を経験し、遡行の技術の全般を学ぶ機会を与えられた。同好の士があればこそである。
 
これら同好の士に巡り合わなかったとしたら、自分の人生がどんなに単調なものになっていたか想像がつく。「来週、○○を遡行しようよ。」といって仲間を誘ったときに、「OK、了解、参加!」という仲間の反応が無ければ、どんなにか寂しいだろう。ひとりで山を歩いたり単独遡行できたとしても、仲間との信頼がなければ、山や谷の楽しみは別のものになっていただろうと思う。
 
近頃は、寄る年波で仲間の体調も万全でない。そういう私も手術をした後の体力低下で、仲間に迷惑をかけるようになっている。同好の士と、今までどおりの付き合いができなくなってくればくるほど、仲間のありがたさが身に沁みるようになる。
 
今回の、桜沢、スッカン沢の遡行は、通院の当日に鹿沼へ向かわなければならないので、参加できないと考えていた。家でおとなしくしているのも療養だという思いもあった。家内が見かねて「沢へ行って来たら」という。ありがたい言葉だ。
 
ぎりぎりまで迷った末に、大橋さんの企画に参加することにした。汗だくで準備を整え、家を出た。鹿沼駅に着いたのはもう夜の八時だった。

 
仲間に会えれば、どこでも良かったので、「スッカン沢、桜沢」に魅力を感じていた訳ではない。出掛けなければならないという思いがあった。なぜだか分からない。
 
桜沢は、そんな仲間への思いとは関係なく、ダイナミックで繊細な渓だった。何も考えずに渓の美しさに哭いた。人の喜怒哀楽とは関係を持たず、いつも自身をあるがままに現すのが自然であり谷である。その自然の掌の上で、仲間と心を通わせることができ、満足だった。
 
大橋さんは、二つの難しい滝をリードし、楢原さんは、素晴らしいペースで遡行をリードした。
 
沢も仲間も決して思いを裏切ることがない。これは、経験によって得た私の信念である。



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