2016.01.17 笛吹川荒川 


 奥秩父、国師ヶ岳西を源頭とする笛吹川荒川は豊かな渓である。笛吹川源流の東沢や西沢が花崗岩の渓であるように、この渓も花崗岩の渓である。ただ、露岩スラブは多くない。ナメやナメ滝の渓ではなく森林の渓である。大きな花崗岩の散在する、幽邃な深林を抱えたゴーロの渓である。両岸に発達した黒木の立つ段丘は、丈の低い草を広げ快闊だ。端然とした流れの白い花崗岩は、緑の苔を付け幽玄な趣を醸し出している。ただ、遡行に緊張をもたらす登攀の難しい滝がないので、ひとによっては退屈な沢と感じるかもしれない。
 この荒川は、甲府市の南で笛吹川へ入り、その後富士川となり駿河の海に注ぐ。甲武信ヶ岳に源を発し秩父を流れて東京湾に注ぐ「荒川」ではない。





 奥秩父の山とは、どこからどこら辺りまでを指すのか、あまり考えたこともなかったが、ネットで少し調べてみると、どうやら雲取山の西を指すようだ。西へ20002500m級の山々が50kmに渡って連なっている。西端は八ヶ岳のすぐ近くの横尾山だという。
 冠松次郎は、「奥秩父の追憶」で次のように述べている。

   一体奥秩父と云うのは何処から何処までを指して云うのか、(中略)口元
  秩父というのは武甲山から三ツ峰付近を指すので、三峰から奥は既に奥秩父
  の領域に入っているような気がする。
   兎に角甲武信岳を中心として、西は国師岳、奥仙丈岳、金峰山に至り、東
  は破風山より雁坂峠に至る間、更に北は三国山に亘わたっている。この三叉
  形の主稜を中心とする山と渓こそは奥秩父の中枢地帯と云うてもさしつかえ
  ないと思う。

       『峰と渓』河出書房新書 冠松次郎 2002年 「奥秩父の追憶」

 聞きなれないことばだが、冠松次郎がいう口元秩父の「口元」とは、奥秩父の「奥」に対する語で、元々の秩父という意味に解せば良いようである。小暮理太郎の「奥秩父」にも使われている。
 奥秩父山塊のほぼ中央に位置するのが、埼玉、山梨、長野の県境にある甲武信ヶ岳である。この甲武信ヶ岳の名は、甲州、武州、信州の意を持つことを、小暮理太郎の「奥秩父」によって知ったのは、つい今さっきである。確か、どこかで聞いた気はするが。
 甲武信ヶ岳の南には、沢登りで良く知られた笛吹川東沢がある。東沢は多くの支流を抱えているが、最も歩かれているのが、その本流ともいえる釜ノ沢だろう。
 釜ノ沢は、東俣を2009年の8月に山﨑さん、大橋さんと、西俣を2011年の10月に沢の同好会で歩いている。豊かな自然の中を流れるスラブの多い沢である。ナメ滝やナメが多い。どちらにしても釜ノ沢出合からでも標高差が千mはあるので、途中一泊するとしてもなかなか体力を使う谷であった。
 笛吹川東沢の南側には、西沢がある。笛吹川の源流に、東沢と西沢の支流があることになるが、なぜこの北と南にある二つの沢が「東沢」、「西沢」と呼ばれているのか分からない。不思議だ。分かる人がいたら教えてもらいたいと思う。
 西沢は、現在では、渓谷ハイキングの地としてつとに有名だが、季節にはあまりに人が多く観光の地と変わらない。その、上流部の遡行に興味が湧くが、どんなものだろう。ウェブの情報は皆無である。魅力がないのだろうか。地理院の地形図をみると、西沢の上流、本谷、京の沢、アザミ沢には、堰堤が多く林道が縦横にあり、沢を歩くには向いていないようにみえる。ただ、地形図を見る限りにおいては、中流部には人の手が入っていないようなので、けっこう面白いのではないかと思う。できればいつか探りを入れてみたいと思う。その場合は、上流部の遡行は避けて、登山道を国師ヶ岳に上がることになるだろう。
 この幻の西沢源流から奥仙丈岳を西に越えれば、笛吹川荒川である。この荒川の上流を昨年の夏から秋にかけて四度ほど歩いた。この時は、自覚していなかったが、荒川源流からは笛吹川西沢はかなり近いのである。奥仙丈岳の南北稜を境に隣り合った渓が荒川と西沢である。どちらも笛吹川の支流で、釜無川と合流して富士川となり、静岡県の駿河湾に注ぐ。


笛吹川荒川の遡行図


 荒川の標高1460m付近に乙女鉱山の廃坑がある。その700mほど上流に倉沢北沢が出合う。広い河原のゴーロだが、右手から二つ支流が滝を絡めて入ると、本流には小さいながら大釜を持った滝が現れる。水量は多い。その先にすぐ水勢の強い二段6m滝が現れる。この滝は左岸を小さく巻ける。水量の多いゴーロを徒渉しながら歩くと豪快に水を落とす幅広の小滝が現れる。左から小さな支沢の入る所で多段のナメを見る。ここは広い河原になっている。山深いゴーロを辿ると沢幅は狭くなる。右へ曲がろうとするところで、左岸から大きな黒い滝を持った支流が入る。ここを過ぎれば、大きな二段堰堤である。この堰堤は、沢の中に溶け込みすだれ状に滝を落としている。堰堤の滝といえどもなかなか見事だ。この堰堤は、踏み跡は定かでないが右側から巻ける。この上は、白砂が広く堆積した河原となり百mほど続く。神子ノ沢が左から入る。神子ノ沢は、昭文社の地図では、御堂ミコノ沢となっている。この支沢には四つほど小さな滝が続くが直登できる。
 標高1635mで右から桜沢が入った先で、豪快な8m滝が迎える。釜が大きく深いので滝を登るのは難しい。標高が高いせいか、荒川の流れは夏でも想像以上に冷たい。左岸を巻くと滝上はきれいなナメとなり、すぐ堰堤だ。堰堤の上は平坦な草地も混じる河原となり、テントを張ることもできる。この荒川は段丘が発達しているので、いたるところ泊り場適地がある。
 この堰堤を過ぎ左岸からアコウ沢が出合うと、本流はナメとナメ滝が途切れることなく続く。約500mに渡る水勢の強いナメ滝の連瀑である。スリップに注意して、どの滝も快適に越えていく。この辺りが、荒川に最も豪壮な渓を感じるところである。歓喜の心を抑えながら次々と滝を越えると、二段ナメの先に堰堤が現れて連瀑が終わる。御室川の出合まではゴーロが続く。この出合いすぐ先の本流では、金峰山へ向かう登山道が渉る。この道は川上牧丘林道の1950m地点へ続いている。林道には駐車場もある。



 支流御室川の出合いは水量豊富だが、水晶峠への分岐付近では水が涸れる。御室小屋の付近で水流が復活する御室川左俣ともいうべきケイオウ谷を歩いてみたが、大きな滝が一つあるだけで見るべきものはそう無い。
 御室川出合の先、本流はまだまだ水量が多い。両岸黒木が多く河岸段丘が発達している。大きな滝は無いが、ゴーロに小滝やナメが繰り返し現れる。荒川の中では、この辺りが最も奥秩父の特徴をみせる流域ではないかと思う。緑苔を付けた白岩と水の流れ、そして段丘に形成された草地の景観は、天国のような趣がある。1960m付近には、二段のスラブ滝があり、自然に足を止めたくなる。
 2000m付近の左岸支流で遡行を打ち切って林道へ上がったが、本流にはまだ水量はある。だが、地形図には、この先源頭付近に幾つも堰堤がみえるので、遡行の期待はできないだろう。名渓ののど元に、さして効果のない堰堤を造る愚を悲しいと思う。
    (笛吹川荒川、上流部の渓に興味がある方は、2015年の記録を参照してください。)

補遺
 笛吹川荒川の遡行記録が無いのは、今まで遡行のガイドブックなどに紹介されてこなかっただけのことと思う。繰り返し歩かれる沢は、たいがい何らかのガイドブックに紹介された沢であることが多い。この夏、四回この沢を歩くうちに三回釣り人に会った。釣り人には良く知られた渓のようである。ただ、沢装束の同類を見かけたことは一度もない。
 この文章を書くうちに、偶然にも、冠松次郎の著作にこの笛吹川荒川について述べた箇所のあることを知った。書物での様々な出会いというのは、求めればどこかで果たされるものだと驚いた。隠れた沢といえども、知る人ぞ知るということか。これも、縁のことである。これとは別だが、実際に氏は奥秩父を歩き、金峰山を笛吹川荒川側へ降りた文章がある。この時は、水晶峠を経て黒平へ降りているので、荒川の支流、御室川を横切っただけだとは思うが。


   (前略)奥秩父に於いては寧ろ花崗岩によって立派な山と渓谷の美観を発
  揮している。山上では金峰山、瑞牆山など最も美しく、石塔尾根、鶏冠山な
  どこの山地の代表的の峡嶮をなしている。

   渓谷では、荒川(富士川の支流)の上流及び下流の昇仙峡の美を形造り、
  笛吹川西沢、東沢及び武州入川谷、真の沢、滝川谷上流など花崗岩の浸蝕の
  豪壮味を極度に発揮している。奥秩父に於いては山よりも寧ろ渓谷に魅力が
  豊富である。

     『峰と渓』河出書房新書 冠松次郎 2002年 「奥秩父の追憶」



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