2015.11.11 挽歌のような (その1)

 もう15年ぐらい経つだろうか。丹沢の水無川、木ノ又大日沢を歩いていたときだ。三段10m滝を過ぎ、奥の二俣(1250m)の先で左岸の枝尾根に上がろうとした時、一人の老人に会った。これから急勾配の長い詰めが始まるところだ。とても人の会う所ではなかったので、つい声をかけてしまった。これが、人のある水無川の本谷であれば、声をかけることもなかっただろう。木ノ又大日沢という恐ろしくマイナーな沢で人影を認めたものだから、無人島で人に出会ったように、つい声をかけてしまったのだった。
 一言二言話をしたが、たいしたことは話さない。沢を詰めて稜線に上がると言う。老人は、65歳から70歳ぐらいだったろうか。その時は、自分がまだ50代の前半だったので、ずいぶん歳の人が人の歩かない沢を歩いていると驚いた。
 その老人のいでたちは、ハーネスや渓流スパッツを付けていない、普通の尾根歩きのスタイルであった。ろくに荷物も担いでいなかったと思う。何より、驚いたのは、その老人が見せてくれた首からひもでぶら下げた名札だった。遭難した時に、身分が分かるようにと、その老人自身が説明してくれた。週に二度ほど丹沢の沢を歩いているという。
 その後、老人は左岸尾根に上がり傾斜の強い斜面を休むこと無く上がっていった。このルートは、若くても息が切れる詰めだ。
 何より、老人の覚悟に驚いた。その時は、そのいで立ちから沢の初心者と思ったが、 今思えば、長く沢を歩いてきたベテランではないかと思う。確証は無いが、あの「丹沢の翁」だったのかも知れないと。まあ、そんなことはどうでも良いことだが、そういう自分も、いよいよこの老人と同じ境遇になったということである。人から見れば、70歳少し前の老人が、人の歩かないマイナーな沢を単独で歩いている姿は、この時の老人と同じではないか。たとえ、名札をぶら下げていないとしても。

 今年の沢歩きは、中途半端に終わった。何より、療養のために体調十分でなく本格的な沢に挑戦できなかったためだ。その上、治療の中休みになった九月には、週末の天候が悪く二週ほど続けて尾白川の遡行計画をふいにした。尾白川といっても本流ではなく、支流鞍掛沢へ入り、さらにその支流の乗越沢を詰めて日向八丁尾根を日向山へ下山するルートである。
 尾白川とはいえ、早や立ちで日帰り遡行する沢だが、そのときの自分にとっては一泊しても限界の沢だった。長く歩くことができない、泊りの重荷で歩くことができない。ないないづくしの自分をこの計画に乗せるには、なんとか五時間歩いて乗越沢出合で泊り、次の日は六時間歩いて日向山を経て登山口に戻る、という筋書きが必要だった。それでも、大きな不安があった。次の日が難しいようであれば、沢を引き返すことも念頭に置いた。同行者の大橋さん、山﨑さんに共同装備を全部お願いして、さらに徹底した軽量化をはかる心づもりだった。
 私がわずかに持って行くはずだったノコギリさえ

「持ってこなくていいよ」
とメールをもらったきは、胸がいっぱいになった。
 この計画が、雨天の予報によって中止になったときは、ほっとする気持ちもあったのである。
 豪快なスラブ滝を従え淙々と流れる尾白川、原生の森を縫うスラブの深い谷を見せる鞍掛沢。小さな沢では見られない南アルプスの壮大な谷の自然美が待っているはずだった。短いルートだが、今の自分にとっては夢のような行程なのだ。もし来シーズン、今の自分の精神と身体が保たれているのであれば、この小さな夢を実現してみたいと思う。
 (2へつづく)



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