2015.11.05 南アルプス **一書一言**


 北アルプスが夏期では登山者よりも旅行者のためのサービス専門化した現代では、南アルプスだけが登山者のプレイグランドではなかろうか。何れその中に北アルプスと同じ運命にはなろうが、まだまだ余程の年月を要することだろう。矢張り山は大きく深く、不便だからだ。そこに大きなひきつけるものがある。
   「南アルプスに登る人のために」浜野正男 『北岳 甲斐駒 赤石』1961年 東京創元社

 南アルプスの概要を紹介するに、北アルプスとの比較で語った氏の文章の終わりに挿入されたことばである。「高峻で、岩稜が重なり合い谷も雪に埋もれ高山的姿である」北アルプスの魅力に比して、深い原生林に抱かれ太古の静寂を残した南アルプスの魅力を紹介している。
 北アルプスは、当時すでに開発が進んで、「他の人の靴の踵ばかりを見つめながら、それについていったら、山頂に到達し」てしまったとも揶揄もされるような状況だったようである。大げさに語られたのだろうが、これは現在の話ではない。もう50年以上も前のことである。一方、アプローチに1~2日を要し、谷が深いゆえに、縦走ではその高低差に苦しめられる。ただ、体力が必要とされる地味な山域の南アルプスは、人とめったに会わない静かな山の魅力が残されていると紹介されている。
 しかし幸いにも、氏が「何れその中に北アルプスと同じ運命に」と語った予言は、50年以上を過ぎた今でもかろうじて当たっていない。林道が奥まで入り整備され、夏季にはバスが運行されるため、アプローチに1~2日を要することはさすがに無くなった。確かに旅行者に見間違えるような派手ななりをした若者を見かけるが、旅行者目当てのホテルも土産物屋も進出していない。これは、ひとえに南アルプスが「山は大きく深く」あったためだと思われる。南アルプスの不便さが、その山域を守ったといえる。その後に起きたスーパー林道の反対運動もこの聖地を原始のままに残した役割を果たしたと考えられる。
 現在の我が国の出生率からみれば、これからは当然、南アルプスを走破できる若者の数も減ることになる。今以上の受け入れを準備する山小屋やホテルは現れないだろう。これからも、南アルプスの静寂は保たれていくものと考える。日本が平和である間は、この地の森林資源が必要とされることもないだろう。人の手の入らない幽深な森と豪快な渓谷に囲まれた巨大な量感の山々、この自然の美しさが、これからも残されるものと思われる。

 『北岳 甲斐駒 赤石』は、現代登山全集10巻のうちの第5巻として刊行されたものである。登山全集といえば、『日本登山大系』が有名だが、その刊行のさらに20年前に登山の大冊が出版されていたとは驚きである。つい最近までその存在を知らなかった。われわれが、『現代登山全集』、『日本登山大系』と続く登山のエネルギーの噴出する時代に知らぬ間に生きてきたことを改めて感慨深く思う。



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