2015.05.19 墓参り

 「お墓参りに行きませんか。」というメールがあって、近くのお寺へ出掛けた。たまたま、家の近くのお寺に会社の後輩が眠っている。享年41才というから若い。私が定年で会社を去る時には、まだ40前の若さだった。体調が悪くなりながらも、博士論文を提出したと聞いていたので、さぞ無念だったと思う。

 彼は若い時から持病があって、治療を抱えながら仕事に励んでいた。私たちがやっていたのは、特殊な機械材料の開発だった。何年も完成を見ることがない。実験的に答えを求めるタイプの開発なので、毎日実験が続いた。「まだ誰も手にしたことのない新しいものを創る。」という面白さはある。だが、何年も続けるということは、何年も答えが得られずに失敗を繰り返すということだ。タフな者でも、相当のストレスを受ける。
 私が会社を去る前に彼は管理職に付いた。管理職となればさらにストレスは増す。同じ時期に、博士課程進学のチャンスがあり、私は体調を心配して進学希望を打診をした。彼は、ひるまずに「やります。」と言った。開発を続けながら管理職の業務をこなし、さらに学業に励んだ。技術者として満たされた日々を送ったと思う。だが、負担は増していたはずだ。
 私は、彼の死を前にして、本当にこれで良かったのかを自ら問うた。彼の仕事を軽くするという選択肢もあったのではないか、そういう思いだ。技術者としては一線を引くが、命を温存できたのではないか、という思いが巡る。だが、もう一方で、彼をラインから外した時の本人の心情を思うとためらいもある。どちらが良かったのか。これは、いつまでも堂々巡りだ。最近は、これが彼氏の運命だったと思うことによって、自身の安心を得ていることに気づく。

 墓参りの帰り、駅前で後輩たちと一杯やった。とは言っても、こちらはすっかり酒を断っているので、相手にすれば興ざめかもしれない。三人の後輩たちは、いずれも4143才の働き盛りである。私が会社を去るときには、まだ頼りないところもあったが、今では技術者として頼りにされる存在なのだろう。話の端に彼らの自信のようなものが現れるのに気付く。話すことと言えば仕事の話ばかりだが、いつまでも話は尽きない。
 仕事を離れて七年、「穏やかな老後」を送っている自身とのギャップを心配した。だが、開発の仕事のこととなると、考えることもなく脳内から言葉がほとばしるようであった。これには、自分でも驚きだった。彼らと会う前は、一線で働く技術者と話が通じるのだろうか、正直そんな心配と気おくれがあったのである。長年仕事を通して得られた「技術者の感覚」が、自分の身体に深く染み付いているのに気付かされるのだった。

 墓に刻まれた「誓願知」という文字は、奥様のものではなく、おそらく亡き本人のものだろう。「知を願うことを誓う。」というこの言葉に、どのような含意があるのか分からない。生前、おおらかな性格で理性的だった彼らしい墓碑銘である。
 博士号を目指した彼ばかりでなく、それに続く後輩たちは、次々に技術士、博士号など技術者としての肩書を得てゆく。無能のゆえ無冠を通す他なかった技術者、森を見ない職人的な技術者、芸術家になることのできなかった工芸職人、そういうものだったと自分を改めて思う。その耕してきた土壌に、次々に大樹が伸びてくるとは、夢想だにしなかった。
 「青は藍より出でて藍より青し。」とは、このことかと思う。自身が「藍」であったどうかさえ危ういが、藍から出でたこの青さを事実として認めなければなるまい。自身のことではなく、後輩たちの青さが、眩しいばかりである。

補遺
 法門無尽誓願知(ほうもんむじんせいがんち) み仏の教えは無尽なれど、願わくばすべてを学び知ることを誓う。仏教のことばであるらしい。「知ること」とは、「世界を知る」ことであり、「己を知る」ことである。
 どんな小さな技術開発であっても、自然の法則を新たに知ることによって、はじめて可能になる。知ることとは、考えることである。既存の技術は学ぶことができるが、新たな技術は学ぶことができない。なぜなら、それはまだ世界に存在していなものだからである。考え、知を拓くことによってしか新たな技術は産まれない。技術者とは、知を拓くことに喜びを覚える者たちのことである。技術の開発とは、未開の荒野を、自らの考えを指針として彷徨う他ないものだと思う。



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