2015.03.11 春の足音

 どういう訳か、胃潰瘍などという病に罹ってしまった。緊急の入院を余儀なくされたが、つい先日退院した。生まれつき胃腸は丈夫だったので驚いている。驚いているのは、自分がその病に罹ったというばかりではなく、その退院の早さである。以前、会社勤めをしていた時、胃潰瘍の治療をした上司が居た。もう30年も前のことだ。確か、1ヶ月ほど会社を休んで療養し、出社後もしばらく午前10時ごろと午後3時ごろに、会社の食堂の隅で弁当を食べていた。手術で小さくなった胃袋のために、一日の食べる分量を小分けにしなければならなかったのだろう。
 以前自分の見聞したこの時の治療期間の長さからすれば、今度の自分の治療の早さは驚きだ。病院へ行ったその日に内視鏡で出血部の止血手術をして入院、次の日は輸血をして、三日目には柔らかいご飯を食べさせられた。その間に点滴による投薬を受けた。自分の病状と上司のそれとは同じではない。簡単には、比較はできないだろう。だが、月曜日に入院して、四日目の金曜日に退院したのだから。仮に病状が違うにしても、その差は大きい。飲み薬による自宅療養は続くが、この差はこの間の医学技術の進歩と見たがどうだろうか。とすれば、我ながら幸運だったと言うべきだろう。

 今日は久しぶりに近所の散歩へ出かけた。散歩はいつものことで珍しくないが、入院のためにしばらくご無沙汰していたという訳である。こんどの入院で気づかされたのだが、家の外を自由に歩けるというのは、何とも幸せなことだと思う。陽の光を浴びながら旧東海道や近くの小川、涸れた田んぼのそばを歩くのは爽快だ。なぜそうなのか、考えてもあまりよく分からないが、「生きている」という実感が自然に湧いてくるからだろう。
 愛宕坂は、三島宿から箱根へ向かう最初の登り坂である。この急な登りに、当時の旅人も苦労したことだろう。この愛宕坂を下ると、民家の庭先にふくよかな蕾をいっぱいつけた大輪の椿が開いていた。ツバキも春の花に違いない。その名前から改めて春の花であることを知る。このツバキの傍らにはボケの花が咲き始めていた。淡い朱色のやさしい色合いである。ボケの花もこの春初めて見た。この辺りでは、ボケの花は、沼津アルプスの登山道の脇に見られることがある。背丈が低く小さな花なので見逃しやすい。ボケの花の丸い形から栽培種のように思っていたが、意外にクサボケという野生の花なのである。
大きなつぼみを付けた庭先の ツバキ
 同じ愛宕坂の下りでホトケノザのピンクの群落を見つけた。入院前にもこの花はすでに見ていたので珍しくないが、その傍らにヒメオドリコソウが咲いていた。この花は、ホトケノザに少し遅れて咲く早春の花である。この花には、今日初めてお目にかかった。春が動いていたのである。背丈や花の色、咲く時期がホトケノザに似ているので、いつも名前を取り違えてしまう。
 ホトケノザに少し離れて、小さな白い花を付けたハコベが広がっていた。近づかないとよく分からないほど小さい花だ。花弁の先端が尖っている。自分が小さい頃、鶏のヒヨコを飼うのが流行った時があった。ハコベは、ヒヨコの餌として集めた記憶がある。もう、遠い昔のことだ。

ヒメオドリコソウの群落 ハコベ 青い花はオオイヌノフグリ

 愛宕坂を下ると東海道線の踏切がある。この辺りが箱根の登り口と言われるところだ。この踏切の近くでノゲシの黄色い花を見つけた。花はタンポポのようだが少しとんがっている。黄色い花なのでよく目立つ。どういう訳か、私はこの花が好きだ。以前この花を下手な腕でスケッチしたことがある。葉は小さめだがアザミのような特有な形をしている。このノゲシのそばにタンポポも見つけた。タンポポが咲けば、本格的な春という思いがある。少し早いが、もう、春真っ盛りといって良いのかもしれない。

ノゲシ 捻じれた尖がった葉に特徴がある 荒れ地に生えたタンポポ

 踏切を過ぎると左手の小さな木にコブシが咲いていた。この花は、以前蕾が膨らんでいるのを見ていたので、開くのを楽しみにしていた。花に紫が入っているので栽培種なのだろうか。花弁が細く裂け風になびいている。春の枯れ林の中に、白い花を咲かせて自己主張するコブシが好きだ。だが、この紫を含んだ花もなかなか高貴な風情がある。
 日当たりの良いせいなのだろうか、コブシの咲く土手下の道端にスミレが、小さな小さな花を咲かせている。淡い紫の花だ。舗装道の隅にわずかに残った土に根を張っている。数えてみると五株ほどあった。自然の生命の逞しさを感じさせる光景だった。


道端に生えたスミレ たくましい
コブシの小ぶりな花 紫が混じっている

 箱根の登り口を下がると、山田川がある。箱根山麓を流れ大場川に注ぐ小さな川だ。この川に沿って、猫のひたいほどの田んぼが広がっている。乾燥地の多い箱根西麓では、貴重な「米どころ」だったのだろう。この田んぼの畔は格好の散歩ルートだ。いつも最初に春を見つけるのはここだ。田んぼは日当たりが良いせいだろう。まだまだ寒い頃に、オオイヌノフグリの青い小さな花に気づき、続いて鮮やかなピンクの花を突き出すホトケノザを見つけることになる。そのうち、白い可憐な花を付けるナズナやハコベに気づく。

春一番に花開くオオイヌノフグリ

地味な小さな花をつけるナズナ
 山田川の橋を渡ったあと右へ曲がり、川の右岸を遡る。この近くに越して来た時には、山田川にもウグイやハヤが居て、子供たちと釣りをしたこともある。藪に囲まれた淵で、尺に近い大物を釣り上げたことがあった。もう30年以上も前の話である。一度水害があったあと護岸工事がされ、すっかり小川の風情を無くしてしまった。今では、魚影を見ることもまずない。
 山田川を遡ると土手にすくっと立った黄色い花を見つけた。カラシナだ。栽培していたものが野生化したものだろう。鮮やかなカラシナも早春の象徴だ。群落したカラシナの花霞には春の暖かさがいっぱいに漂っている。カラシナを見るたびに、一度食べてみたいと思ってきたが、いまだ実現していない。さぞ、美味しいだろうと思う。見るからに食欲を誘う色の濃い葉を伸ばしている。

カラシナの花の群落

 山田川を離れて帰路につく。左手に田んぼを見ながら小さな農道を歩く。田んぼの間のちいさな荒れ地に、一本のビワの木が繁っている。晩秋には白い花を咲かせたが、今は、ただ冬を耐えている。おそらく小さな実を抱いているのだろう。初夏にはたくさんの黄色い実を付け小鳥たちを集める。
 この木の傍の田んぼの畔に、ヨモギが小さな手を広げていた。和毛(にこげ)があるのだろう。青い葉が白く銀色がかって見える。北国に育った私には、雪解けの後に芽を出すヨモギは、つぶすと強い芳香を放つ春の風物だった。一週間ほど前に、近所の空き地にフキノトウが生っているのに妻が気づいた。さっそく採りに出掛け、フキ味噌にして食べたばかりだった。ヨモギは、このフキノトウに次ぐ春の香りだ。この時期には、仕事で忙しい母親が、ヨモギを使った蓬まんじゅうを作ってくれたのを思い出す。甘い菓子の少ない時代の贅沢なおやつだった。田んぼの畔のヨモギを見ていると、50年以上前の蓬まんじゅうの香りがよみがえってくるようである。
 散歩に出ると、高台にある我が家に戻るには、長い坂を上らねばならない。つい先日まで病院のベッドに居た私には、少しきつい。急がず止まらず足元を見ながら脚を運ぶ。登り切ろうとするとき、歩道のわずかなすき間にミチタネツケバナの白い小さな花を見つけた。こんな舗装道路の上にも春が来ていたのだ。この4月に近所に住む孫娘が、この坂を下った先の小学校に通う。孫娘もこのミチタネツケバナの白い花に気づいて目を止めるだろうか。

 この30分ほどの散歩でも、動きを止めない自然の営みに気づく。知らぬ間に春が訪れ、その春の輝きの中に自分が居ることに気づかされたのだった。自然の中を歩くことに幸せを感じるのは、自然の小さな変化を感じること。「生きている」という実感は、そんな些細な出来事の中にあるようなのだ。

白い和毛(にこげ)を持つヨモギ  目立ちにくいミチタネツケバナ




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