2013.11.25 ひとりで歩くT


 最近ひとりで歩くことが多い。歩く場合は、沢が多いので、というより沢しか歩かないので、ひとりでは危険だという思いもある。もちろん家族も心配する。最近少し体を壊したので、なおのこと家族は気が気でない様子である。そんな事情もあり、必ず家族に詳細なルート図を置いて出掛けるようにしている。
 ところが先日、西丹沢の石棚沢を歩いた時に、途中で家族に行き先も告げず、ルート図も置いてこなかったことに気がついた。これは珍しいことだ。ひとりで歩くこと、それがすぐ危険だという思いはあまり無い。だが、身に難が降りかかった時に、それを家族に伝えるすべが無くなることが怖い。丹沢へ行ってくるとは言ったが、遭難した場合にはそれでは探しようがない。
 沢を歩く場合、沢を忠実に辿ることができるとは限らない。大きな滝が登れなければ、高巻きをするほかない。たいがいの大高巻きはルートが有るわけでは無いので、ルートを外れたことになる。そういう時、ここで遭難したら捜索隊が自分を探すことは難しいだろうな、と思うことがある。ぼんやりした不安である。ましてルート図の無い捜索は不可能に近い。
 石棚沢はそう難しい沢ではないという思いもあって、ルート図を置いて来るのを忘れたのかも知れない。石棚沢に深く入るに従ってそのことが気になってくる。ここで事故を起こすわけにはいかないという思いが、行動を抑制する。緊張感を生む。安全側の登攀ラインを探すことになる。もっとも、これはルート図の置き忘れにかかわらず、ひとりで歩くときにはいつもそうだ。これは、ひとりで歩くときの効用だろう。
 初春や晩秋にマイナーな沢を歩くことが多い。マイナーな沢は、情報も少ないので予備知識も限られてくる。沢の状況を見て、その場で対処することになる。それはそれで、また沢を歩く面白みでもある。ひとりで歩くときのその緊張感は、大勢で歩く時には得られないものだ。それもまたひとりで歩くときの効用だと思う。



Home