ウェルネス・クライマーズ短信 066
黒檜沢周辺キノコ採り 南会津
2013/10/23 晴れ
伊佐野、大橋、山ア


参考情報
なし

コ−スタイム
なし


短信066に寄せて<寄稿>
 きのこ採りといえば、母親と近くの山へ出掛けたことを思い出す。私が小学生の頃だ。大正生まれだった母親は農家の長女だった。そのせいか、転勤先の官舎で上手に畑を耕し、野菜を作るのがうまかった。今の日曜農園のようなものだが、そういうことが好きだったのだろう。同じように野菜をつくる近所の人より、はるかにりっぱな野菜を収穫するのだった。
 父親は国立の療養施設の事務方で、宮城県北部の田舎に転勤したことがある。私が小学生の時は、3回転勤していずれも官舎に住んだ。私が小学1年生の時に、ここに移った。世間とは隔絶された療養施設で、官舎の周りは丘陵地帯だった。母親は、農家の出だったせいもあるのだろう。山へ出掛けるのが好きだったようだ。よく子供達を連れて山へ入った。今にして思うのだが、この頃の山体験が私を山好きにしたのだろうと思う。
 丘陵地帯は赤松の生える雑木林だった。一時期、近所の山のその赤松が大量に伐り出されたのを記憶している。あんなに曲がった木材を何に使うのだろうか。そんな時に毛並みの光る馬を見た。恐くて近寄ることのできない存在だった。そう昔でもないが、地方では重機の代わりにまだ馬が荷役を務めていた時期だった。記憶のついでに書いておくが、馬橇がまだ有った時代だ。リヤカーの倍ほどもある平らな橇を馬が引く。もちろん辺りは雪景色だ。小学三年生のとき、父が盛岡へ転勤になった頃にも、郊外の往来を馬橇が駆けていたのを覚えている。それとともに、道端に落ちているまだ温かい馬糞の匂いもまた記憶に上ってくる。
 母親との山の散策は、たいがいの場合柴刈りだった。柴刈りというとずいぶん古めかしいが、当時1960年になろうとする頃は、その地の風呂の燃料が亜炭だった。亜炭の焚付けに柴が必要だったのだ。長い紐を持って近くの山へ入る。上手に枯れ木を探して束ね、長い紐を通し、背中に担いで帰る。母親の枯れ木の探し方のうまさや、柴を担ぐ時の動作や紐の扱いを、今でもしっかりと記憶している。板に付いていたのだ。

 きのこの話をしようとして、ずいぶんと遠回りをしてしまった。実は、きのこと母親の話題はそう多くない。母親の実家は岩手県の田舎にあったが、母の実家できのこを食べた記憶が無い。食べたことはあったのだろうが、そう話題にのるほどきのこの話が出てこなかったということだろう。野菜を作る力ほどには、きのこを採る力は、備わっていなかったようだ。
 母親ときのこの思い出といえば、やはり近くの山で採った「アミッコ」だ。というか、母との記憶で思い出すのは、このアミタケぐらいだ。アミッコは、傘が茶色、傘の裏が鈍い黄色で、細かい網のような模様になっている。名前はこの「網」から来たのだろう。煮ると傘が少し天側に反り返り、色が紫がかる。ぬめりが出て食感が良い。大根おろしに使ったり、汁物にいれれば格別の味だった。
 家のあった丘陵地ではよく食べられたようで、大量に採って樽に塩漬けするという話を聞いたことがある。家ではそうたくさん採るということもなく、秋になるとときどき食卓に乗る程度だった。母親はきのこをよく知らなかったのだろうと思う。アミッコは、他のきのこと間違うことのない特徴を持っていたので、それだけを採っていたのだと思う。
 きのこといえば、「ハツタケ」を思い出す。やはり同じ官舎で、玄関先に有った大きな松の木の下や近くの垣根の下に出た。立派な大きなきのこだった。天側に反った白っぽい傘を持つきのこで、場合によって傘に緑青のような色がついている。これも特徴的なきのこだった。山の物といえば、その年によって出たり出なかったりで、このハツタケも毎年というわけにはいかなかった。というより、忘れた頃に出て来るという具合だったので、たくさん食べたという記憶が無い。だが、家の敷地内でハツタケが取れるというのは、その地がどれだけ山の中にあったかという証拠になるだろう。丘陵地ではワラビを採った。点在する沼では小エビを採った。山を遊ぶには良い地だった。その時の母親の歳を数えてみると、40歳少し前だったことが分かる。今の自分の娘の歳である。

 このきのこと母親との記憶から、今度の山アさんたちのきのこ採りを振り返ってみれば。きのこ採りは、男の仕事だったのだろうと思う。滝のある険しい沢を登り、急峻な崖を登り枝尾根に出て、ヤブを漕いで支沢に入り狙いのものを探す。これは、どう見ても女の仕事ではない。ときには熊の姿を見る危険な仕事だったのだろう。母親からそのようなきのこ採りを教わらなかったことは当然だったかも知れない。
 昔、山や沢を歩くことは生業に密接に結びついていたのだろう。イワナやヤマメなどの魚、豊かな時には驚くほど採れる栗やきのこ、山菜、そして樹木を加工した炭など、山の暮らしをよく知らない自分にも、今は廃れてしまった山の豊かさを十分に想像できる。
 山に入って、突然大きな滝に遭遇した者は、その滝をどんな思いで見たのだろうか。滝とは神々しいものである、いまの私達と同様に、興奮と憧憬の眼をそれに注いだのだろうか。山崎さんの撮った、人知れず山の営みを続ける大滝の姿を見ると、無性に「偶然の滝」に遭いたくなった。何年も沢を歩いているとはいえ、偶然に大滝に遭うということはない。予定のルートを外れることはまず無いからである。沢登りに思想があったとしても、沢や山の側から見れば、それはしょせん書生のものに過ぎないのだろうと思う。
                             sawakaze



この辺り



みなさーーん、日ごろの行いが良いとこんな天気に
なります。一句「^^/・・・かな」

登山道と沢が行き会うところから入りました。
先に見えるは伊佐野さん。キノコのときは早いです。
先手必勝を知っているから・・・でも最後に分けてくれます、
結構やさしいのです。


くの字m「和服」の似合う滝です。

大橋さんが見つけました。「クリタケ」です。出始めです。
かわいいです。


紅葉です。肉眼では「もっと赤く輝いてます」

枝沢に入りました。sawakazeさんが言われるように、
5分でもヤブ漕ぎしたくないです。
この尾根に上がるまで急斜面です、沢靴が活躍しませんでした。登山道にようやく出そうですが・・・
地形図をじっと見つめる。大丈夫そう(^^


黒檜沢の東尾根一つ越えた沢の下部です。
見た目より落差があり、登れません。
でも、この滝を見るのは、、キノコ採り位かもしれません。

先ほどの滝を高巻き途中から「カシャ」・・・


道路から撮りました。まさしくF1。豪快に落ちてます。

その滝が伊南川に流れ着き一気に本流へと。
これから、又「長旅」が始まります。


清流「伊南川に心・・・あ・ら・わ・れ・て」一句捻る

「岩肌に紅葉たくましく根をおろし」・鐘ひとつでした(--




Home