2013.01.21 遡行速度を考える


 谷を歩くときには、自分たちの実力を正確に把握しておくことが欠かせない。その谷がどのぐらいの時間で歩き通せるのか、何泊を要するのか、どの辺りにテン場を求めるべきなのかなど、これらを予測するには、まず自分たちの実力を知る必要がある。特に遡行情報の少ない谷に入る場合はそうである。そんなことは、谷に入ってから成り行きによって決まるものだからそれで良い、という向きもあるだろう。だが、我々のように技量も体力も乏しいグループの場合にはそうはいかない。その谷が、予定の休日の期間中に遡行できるかどうかは、大概の場合けっこう重要な問題となる。
 例えば、南アルプスの赤薙沢袋沢の溯行を考えた場合、どのぐらいの時間がかかるのか、一泊の遡行で広河原まで達せられるのか。地形図のデータからこれらを予測することができないだろうか、というのが今回のテーマである。袋沢のweb情報は、私の知るところ一例あるが、これはどうやら単独の実績である。遡行時間は、二日の合計で13時間40分だ。もちろん、体力も技量も我々とは違う。日本登山大系には、赤薙沢の出合から1415時間とあるが、大概、この時間では登れない。これは、谷を歩いたことのある人であれば、よく経験していることである。我々はどのぐらいの時間がかかるのだろうか。それを知ることによって、我々がその谷を、決まった休日の間に、遡行して下山できるかどうかの判断ができる。

 遡行時間は何によって決まるのだろうか。谷の難しさが第一にあげられるかもしれない。どうにも通過の難しい滝やゴルジュがあれば、時間はいくら有っても足りないということになる。だが、我々実力のない遡行者は、最初からそういう難しい谷を選ばない、というか選ぶことができない。高い滝があっても、直登できるか高巻きができると考えられるようなルートを選ぶことになる。普通、自分たちが歩けると予測できる谷をしか歩かないものである。
 とすれば、遡行時間は何によって決まるのだろうか。平坦地を歩く場合は、歩く距離に時間が比例することは良く知られている。一里、4kmが1時間というのは、良く言われていることだ。そして、他にも遡行時間に影響する因子はあるのだろうか。そんなことを考えてみた。まずは、自分たちの、この二年間の遡行実績を整理した(別表)。遡行ルートの距離、標高差と遡行時間のデータを並べてみたものである。別表のデータをもとに、遡行時間に及ぼす因子を分析してみた。別表じたい複雑なので、第三者はこの別表を見る気も起きないだろう。ここでは、分析してみた要点だけを列挙して見ることにする。

<語句の説明>
*遡行標高: 入渓点と稜線など遡行終了点との標高差 m
*遡行距離: 入渓点と稜線など遡行終了点との水平距離 km
*勾配: 遡行標高/遡行距離= m/km
*平均遡行速度: 遡行標高/遡行時間= m/h

 別表で、明らかに平均遡行速度が異なる場合があることが分かった。これは二群に別れる。どうしてこんなに違いが出るのだろうか。いろいろ考えてみると、それは、荷物が重いか軽いかという差が、平均遡行速度に大きな影響を与えるということだった。これは顕著である。日帰りの軽い装備の場合は、150m/hの高い値が得られているが、泊り装備の場合は、ほぼ8090m/hである。これは、谷の勾配にかかわらずである。別表のデータでは、谷によってその勾配は、100から400m/kmにばらついてるが、勾配は平均遡行速度に影響を与えないということである。
 ここでは、平均遡行速度を遡行標高との関係で求めているが、遡行距離の関係でみてみると、一泊装備の場合に0.30.9km/hに大きくばらつくことが分かる(なお、この値は別表には表していないがすぐ計算できる)。つまり、平均遡行速度は、遡行距離ではなく、遡行標高との関係で捉えたほうが、うまく整理できる。これは、尾根歩きの登山の場合に言われる1時間当り250mというような指標とも矛盾しない。ただ、道がなくゴルジュや滝がある遡行の場合には、大幅に小さくなり8090m/hになるということである。ただ、この値は我々が4人ほどで歩いた場合の固有の値である。平均遡行速度は、グループの体力や技量によってかなり異なるものと思われる。自慢ではないが、我々は結構遅い。
 ここで注意しなければならないのは、平均遡行速度というのは、入渓点と遡行終了点の間の平均的速度を求めたものであって、遡行の序盤、終盤を同じ速度で歩いているわけではないということである。別表のデータからも明らかなように、泊りの遡行の場合に、1日目の遡行速度よりも2日目の遡行速度の方が速くなっていることがわかる。これは、体力の変化からすると矛盾している。おそらく、この変化は、通常は滝やゴルジュは谷の下流部でよく発達をしていて、上流部ではおとなしい渓相になるということと関係しているのではないか。あるいは、谷の勾配に影響されているのかも知れない。一般的に、入渓地点に近い谷は勾配が小さく、稜線に近い詰めでは勾配がかなり大きくなるからだ。遡行の序盤では、長い距離を歩いても、なかなか標高を稼げないということがある。これは、先に述べた「勾配は平均遡行速度に影響を与えない」ということとは矛盾する。何故なのだろうか。この辺のところはよく分からない。細かく観察してみれば勾配は遡行速度に影響を与えるが、遡行ルート全体を均してしまえば、そのぐらいの勾配では、平均遡行速度に影響を与えないと整理しておきたいと思う。このことは、遡行の終盤の詰めで、滝もなくヤブもなくガレもなくただ高度差を稼ぐ場合の速度は、200m/hという自分の経験値とも矛盾しない。
 最初に述べたように、このデータの分析は、遡行対象の谷が何時間で遡行できるかを知るのが目的である。そのため、このような矛盾は、そう問題にならないので、とりあえずはこれで良しとしておこう。いろいろと細かいことを述べたが、これらを整理してみると得られた結論は、次のとおりの単純なものである。

1.日帰り装備と泊り装備では、 平均遡行速度が大きく異る。
2.ルート全体の勾配は、 平均遡行速度に影響を与えない。
3.日帰り装備、泊まり装備の場合の平均遡行速度は、150m/h、85m/hである。
4.2日目の遡行速度は、1日目の遡行速度よりも速い。

 この結果を赤薙沢袋沢(1650m、4.6km)や金木戸川打込谷(1410m、6.5km)に応用してみると、それぞれの入渓点から稜線までの遡行時間は、19.4時間、16.5時間と計算される。この遡行時間とアプローチ、下山の時間を考慮すると、我々のグループの場合は、両沢とも沢中一泊の行程では下山できず、二泊を必要とすることが分かる。
 結論の3項は、なかなか興味のある結果だ。平均遡行速度は、荷の重さによってかなり大きく変わるので、日帰りで荷を軽くして歩くべきかどうかの判断をすべき時に役に立つ。また、派生的に考えれば、泊り装備の荷の重量を軽くしていけば、遡行速度は上がることになるので、荷の減量が遡行速度に及ぼす影響について考えてみるのも面白い。仮に日帰り装備の荷の重量が4kg、泊り装備の重量が12kgとすれば、1kgの減量をすれば8m/hの速度アップができる計算になり*、平均遡行速度は93m/hに、2kg減量の場合には、101m/hという飛躍的な速度になるはずである。これは、ばかにできない効果と思うがどうだろうか。

 *1kgの減量による効果:(15085)/(12−4)=8.1m/h



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