2013.01.02 詩誌・差差16から


  バラ色のオレンジが実る頃
            北沢秋恵
  
  バラ色のオレンジは主役ではない
  バラ色のオレンジを収穫しようとしている女
  も主役ではない
  強いて言えば主役は頃
  頃を他と差別化するものが
  バラ色のオレンジなのだ
  けれどそれだけで何がわかるだろう
  その頃のことが
  
   その女がいなければ
   その頃などなかったも同じ
   頃があったという現実など
  
  おそらく愛する女を描いているのだ
  女はエプロンに二つ三つのオレンジをくるみ
  もう一つのバラ色のオレンジを
  手を伸ばして採ろうとしている
  すこしだけ爪先立って
  夕陽が
  甘やかにふくらむ音楽を伴っている
  私の耳にも触れてくる
  腰を下ろしていつまでも観ていたい情景
  
  けれど
  描かれてもいないのに
  女がいなくなった後の情景まで観てしまう
  対のもう一つの絵があると
  考えずにはいられない
  「在るもの」と「無いもの」のふたつ
               
(詩誌 差差sasa VOL.16 より 原文は縦書き)


 一日の最後の光芒を放つ夕陽、その中でたわわに実ったオレンジのひとつを、若い婦人が今まさに摘もうとする情景を描いた絵画を主題にした作品だ。美術に疎い私には、この絵画の作者が誰で、どのような絵画であるかは知らない。だが、この北沢さんの作品を通して、その絵画が、確かな質感のもとに再現されているのを感じることができる。この絵画の主題は、婦人の姿でもオレンジでもないと、作者はいう。時代と季節と時刻、つまりは「頃」がこの絵画の主題だと。一方、この詩作品の主題は、「在るもの」と「無いもの」である。

 この慌ただしい現実の年の暮れ、様々な音楽が歌声がテレビ放映された。だが、聞こえてくるのは、一様に愛であり、未来であり、再起である。人々を前へ前へと急き立てるような「ポジティブ」な言辞ばかりが虚しく飛び交っていた。「在るもの」と「無いもの」など、誰の声にも歌われることがないのだった。だが、どうだろう。我々が確かな力を得て先々のものに視線をやろうとするのは、「無いもの」の姿を見るからであり、「在るもの」の中に無を感じ取るからである。在るものが我々に力を与えるのではない。実在の中に宿る無きものの匂いが、喉の渇きのように我々の背を存在の側に押すのである。
 確かな質感のもとに描き出されたオレンジと婦人、その豊かな実在が一層無いものを際立たせてみせる。それがこの作品の主題なのだ。在るものは容易に無いものに行きつく。というよりは、在るものは無いもののもう一つの姿、影なのだ。無いものの中で生きる我々の、在るもの、在ることへの渇望が我々の力を創り出す。
 確かな手触りの実在の中に、無いものの姿を同時に感じ取る作者の眼は、眩しいほどの生彩を放っている。



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