2012.10.15 八重洲の合唱


 二口山塊を遡行する前日、東京駅、八重洲のバス停から仙台へ向かうことにした。深夜の高速バスはあまり乗らないので、勝手がわからない。早めに着いて待つことにした。
 南口のバス停前は、乗客で溢れていた。夕刻に雨でも降ったのだろう。舗道が少し濡れている。夜行バスのラッシュの時刻なのだろう。もう、夜11時過ぎだが、名古屋、福井、盛岡など、次々にバスがやってきて、人々を運んでゆく。仕事帰りの人なのだろうか。バス停前を通り、途切れること無く八重洲口に吸い込まれてゆく。すでに新幹線の終電が出た時刻だ。
 水を持っていないことに気がついた。バスヘ乗ってから、薬を呑もうと思っていた。駅の構内に入って売店を探した。だが、どこもすでに閉まっている。家に居れば、とっくに寝ている時刻である。明日の朝、現地にバスが着くまで、水がないのも寂しい。少しあわてた。構内を北へ向かうと、やっとひとつ自動販売機があった。幸い、○○天然水なるものがあり、小さいボトルを手に入れて安心した。八重洲の南北に通る構内の通路に、人は少ない。ときおり人が行き交う程度である。深夜零時前としては、これが妥当なのだろう。平日でもある。
 水を手に入れて、構内を外へ出ようとして右手へ曲がった。すごい人の数である。ここは、大丸の北側の位置になるのだろうか。駅へ出入りする大きな通路である。両側は大きなビルで、谷間になっている。日本橋の方面から、次々に人の群れが押し寄せて、駅へ向かってゆく。つまり、自分とは反対向きだ。こんなに多くの人々が、こんな時刻にどこから吐き出されてきたのだろうか。そして、すぐ、異様な反響に気付く。ビルとビルの谷間に、人々の大きな笑い声が響いているのだった。大方は、働き盛りの男女だろう。大きな声で、何か話しながら笑っている。笑いながら話している。何がそんなに愉快なのだろうか。ビルに反響して声が増幅さているのかも知れない。うねりをともなっている。時刻も時刻だ。まっすぐ会社から来た者は少ないのだろう。日本橋界隈で呑み、いま日が替わろうとする時刻に、明日の仕事を考えて引き上げてきた。そんなことではないか。
 人々は笑っている。何がそんなに愉快なのかわからない。呑み屋の話の続きでもしているのだろうか。観劇をして、たったいま劇場から出てきて、興奮したまま芝居の内容を論じている。そんな雰囲気である。だが、人々は一様に笑っている。その笑い声が、ビルのガラスに反響して、うねりを起こしている。まるで、大合唱のようだ。というか合唱そのものだ。録音しておけば、この異様さを他の人にも伝えることができたはずだ。惜しいことをした。地方から出てきた私は、この異様な反響に驚いた。しかもこの笑いの音楽は鳴り止まず、次々に現れる人々によって演じ続けられるのだった。

 だが、これは、人間の出している音には違いない。いま帰宅しようとするサラリーマンの群れが、発している音である。それは間違いない。生きてある者の発する生命のエネルギとでもいうべき音楽。生きている者の心臓の音、血流の音として聞くこともできる。私は、この音楽に、ある種感激したのだった。人間の肯定的な側面を見せる音楽。ことばでは理解できない人々の生命の横溢。そんなものを、彼らと行き交う1分ぐらいの間に感じ取ったのだった。
 私は一人でいることが好きだ。これから、東北の山に静けさを求めて出掛けようとしている。自然の中に、その静けさの中にこそ真理があると思うことがある。だが、この反響する笑いの柱にこそ、信ずるに足るものがある。そう思うのだった。それが何故だかわからない。その時はたしかにそう思ったのだった。
 仙台行のバスは出発した。すぐに照明は落とされた。急いで眠りを手繰り寄せなければならなかった。真っ暗な箱は、しばらく路面の凹凸を敏感に伝え、身体が眠りに入るのを妨げた。このまま、朝まで、いや明日もあさっても眠りに入れないのではないか。そんな不安が、いつまでも頭を巡るのだった。「長町」という運転手のアナウンスを聞いたのは、それからすぐだったような気がする。


 わが兄弟たちよ、むしろ健康な身体の語る声に聞くがいい。これはもっと誠実な、もっと純粋な声である。
 健康な身体、完全な、しっかりした身体は、もっと誠実に、もっと純粋に語る。それは大地の意義について語るのだ。
          世界の背後を語るもの 『ツァラトゥストラ・上』 岩波文庫048〜051



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