小仙丈沢1 南アルプス

野呂川の砂地に小さなカワラナデシコ

2012年7月27〜28日
高橋










  小仙丈沢2

広河原懐古
 もう来る場所ではないと思っていた久々の広河原だ。南アルプスはラッシュだった。もう40年も前から10年ほど、夏になると訪れたところだ。今では隔世の感がある。聞いてはいたが、広河原は今や南アルプス北部の登山の拠点になっているようだ。山ガール、山ボーイが闊歩する。

 昔を懐かしんで、古い広河原を歩いてみた。いつも、前日広河原へ入り、そこで野営して北岳を目指した。野営場所は、確かコンクリートの屋根があったように思う。今のバス発着場を奈良田の方面へ数分歩いた、野呂川橋に近いところだ。今でも、コンクリートの屋根があった。誰も人が居ない。コンクリートの柱と屋根があって壁は何もない。そこが、40年前の建屋かどうか分からないが、雰囲気は似ている。
 盛岡の学校を出て、沼津へ就職して、それから南アルプスへ10年ほど通った。夏の適期だけだったので、そんなに回数は登っていないだろう。前にも書いたが、いつも一緒だった山本さん、畑本さんは、鬼籍に入っている。隔世の感がある。野呂川を吊り橋で渡ると、広河原山荘がある。ここには泊まったことがない。一気に登り、泊まりは、北岳稜線小屋と決まっていたからだ。そこは、北岳山荘と名前が変わっている。南アルプスを歩いている時に、小屋が混んでいたという記憶が全くない。小屋といっても屋根を借りるだけで、食料も水も当然担いで登る。昭和48年版のアルペンガイド『南アルプス』が手元にある。著者:白籏史朗、定価390円とある。表紙には、麦わら帽子をかぶって横長のキスリングを背負った若い男女の姿がある。隔世の感がする。だが山を歩く人々の心情は今でも変わらないものだと思う。


広河原バス停付近
広河原バス停付近



屋根だけの建物 かつて、野営した記憶が
野呂川橋 この橋を渡ってバスで奈良田へ行ける


かつての広河原 上流方向を見る
かつてこの建物の周りは、鬱蒼としていた記憶が 今は明るく広い



テン場にて
 今夜は、広河原山荘のテン場でツエルトを張り、早朝の北沢峠行きのバスに乗る予定だ。野呂川出合で降りて、小仙丈沢へ向かう。小仙丈沢を一気に登り、その日のうちに北沢峠へ降りて、駒仙小屋でテン場を借りる予定なので、徹底した軽量化に努めた。テントではなくツエルトにしたのはそのためだ。それにしても、ツエルトは低くて狭い。隣に兵庫から来たという高校登山部の生徒10人あり。これはうるさいなと覚悟したが、先生によって統率されたそのグループは、会話も少なく静かな少年たちだった。
 独りは寂しくもあり、うれしくもある。野呂川の河原に降りて、ゆるやかな流れと対岸の緑、そして上流のアサヨ峰、下流の薬師岳の勇姿と対話をしながら、ゆったりと二時間かけて夕食にした。「大気が不安定なため、一時にわか雨か雷雨」というお決まりの天気予報にも、広河原は終始穏やかな天候だった。来る途中、二時少し前に芦安のバス停で強いにわか雨に遭っていたので、少し気を弱くしていた。明日は、全部登れなくても良い。2つめの大滝の登攀がやや厄介だとの情報もあり、そこだけが気になっていた。そこが攀じれれば、登ったも同然だった。登れなければ、そこで敗退ということになる。明日、ガスが懸かったり、雷が鳴らなければいいが。五分五分だろうか。カールを稜線へ詰めるのもやはり核心だろう。独りで歩くときには、いろいろな不安が襲ってきては、弱気にさせられる。
 翌朝、寒くて三時ごろに目が覚める。これも軽量化のため、シュラフを置いてきたせいだ。少年たちは、5時起きだというからまだ辺りは静かだ、空を仰ぐと幾つか明るい星も見える。薄曇りといったところだろう。うとうとしているとやがて夜が明けた。アサヨ峰の頂上付近が明るくなってきたかと思うと、刻々と陽射しが麓の方へ移っていく。晴れのようだ。空を仰ぐと乾いた晴だった。これはいいぞ。バスに乗る前に、北岳を仰いだ。群青の空に岩を従えた頂上が鮮やかに見えた。バスに乗り、野呂川出合へ向かう間も、空はズンズン青く明るくなる。昨日の弱気はどこへ行ったのか、勢いよくアドレナリンが溢れてきて、稜線へ上がる決意がみなぎって来た。のどが渇いているのが分かる。

昨年、大武川遡行後に泊まった北沢駒仙小屋は、建屋工事のため、売店とテン場のみ営業との情報。



仮の住まいツエルト みんなはしっかりした個人テント 野呂川の河原からテン場を見る 広い


吊り橋の下流に薬師岳が
上流方向にアサヨ峰が

清流、野呂川の対岸 キャンプ場側の河原から

広河原山荘 缶ビールは450円















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