2012.02.08 二つの書物

 志水哲也氏の『生きるために登ってきた』を読んだ。これは、氏の最近の著作である(20115月、みすず書房)。この志水氏の著作の読後感は、決して良くなかった。なぜなのだろう。ひとりの男が真摯に山に生きた様をエッセイとして綴り、出版したものである。帯には「山に賭けてきた45年間の自叙伝」ともある。登山というものに、その男がどのように向かったのか、そしてそれが自身の生き方とどう関わっていたのか、それを叙述したものだった。だが、氏の文章から読み取ることができるのは、山がいかにあったのかや自身がその山とどう生きたのかではなく、自身の行なってきた困難な山行の様を、写真家に転身したあとの自身の実績を、網羅的に述べたものであった。この書物に、自己顕示とヒロイズムの影を読み取ったのは私ばかりではないだろうと思う。自身の山歴や写真歴を網羅的に収めた書物は、氏の経歴を知るには、意味あるものだろう。だが、それ以上のものではない。この種の書物に読者の求めるものは、経歴を知る以上の、いわばある種の文学性を求めるものではなかろうか。
 同じ年の12月に著された山田哲哉氏の『奥秩父 山、谷、峠そして人』とは、対照的な読後感であった。山田氏の書物は、奥秩父という山そのものを愛し、奥秩父の自然と交わした山の喜びを著したものである。この書も、氏の自伝といっても良いものだ。奥秩父という山と交わした対話を、自伝的に振り返ることによってこの書は成り立っている。この著作については、またいつか、考えたことを書いてみたいとは思う。

 志水氏は、若い頃から挑戦的な登山を続けてきたひとりである。私は、以前に氏の
20代の著作を、感動して読んだ覚えがある。この著作にも同じ自己顕示やヒロイズムを感じることはできる。だが、それはまだ人生の鳥羽口に立った若い者の著作だった。ヒロイズムや自己顕示が美しく輝く年代の、許される書だったのである。氏のことばを真似ていえば、それは、人生の後ろを振り返らない文章であった。
 しかし、今度の著作は、別物と思える。自分がどのように生きたのかではなく、自分がどのように山を登ったのかではなく、どのような「栄光」を生きたのかを振り返りたかったようにみえる。たしかに、自分が生きてきた特別な軌跡を、多くの者に認めてもらいたいというのは、自然なこととは思う。だが、挑戦的な登山の記録は、すでに終わったものの記録である。それを「再録する」という点には、登山史的な価値はない。とすれば、志水氏がこの著作で為そうとしたのは何だったのか。このような疑問が、いつまでも残る読後感であった。氏のいままでの挑戦的な登山を認める者は多いだろう。だが、文章をものにするというのも、挑戦的な登山に劣らず、基本的な修練が欠かせないものである。書く対象が輝かしいものであれば、粗削りの表現であっても同じ輝きを放ってくれると考えるのは、著者の甘えにすぎない。

 登山というのは、限界に近い困難な目標に向かって、その限界を突き抜けようとする行為なのだろうか。それとも、山そのものを愛し、山を喜び、自然との交歓を果たそうとする行為なのだろうか。前者を挑戦的な登山とするならば、この登山は、自らの行為の価値を求め、登山史の中にその記録を残そうとするものでもあるだろう。この挑戦的な登山は、まずは自分史への挑戦という形を取って現れるものだろうが、突き詰めれば、登山史への、つまりは「他者の記録への挑戦」という意味が、必然的に含まれてしまうのだろう。
 この挑戦的な登山には、ある種のヒロイズムがつきまとうように見える。挑戦的な登山というものは、たとえその行為が「自己の充実」に向けられたものであったとしても、その達成の結果を公にしたとたんに、他者との関係の中に放り込まれてしまうからである。いったいに、登山の成功を公表しない挑戦的な登山というものがあるのだろうか。他者の成し得ない行為をなしたい、あるいは他者の記録に勝る結果を残したい、という心理が、その登山を後押ししないとはいえない。そこには、ヒロイズムや自己顕示欲が自然な形で介在すると考えるべきではないか。
 挑戦的な登山というものは、自己への挑戦でありながら、必然的に他者への挑戦を含むものではないか。挑戦的な登山が、「自己の充実」ではなく「他者の記録への挑戦」という心理から行われるとするならば、それは疎外された登山といえなくもないだろう。挑戦という行為に似合うのは、勝利や成功や達成ということばである。これらのことばは、資本主義経済の現場で価値付けられて来たことばではないかと思う。そこに、「経済」から離れた、純粋な精神の在り様を見るのは難しい。こういう登山観というものも、また存在するのではないかと、密かに思っている。



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