2011.09.29 仲間と登るということ


 簡単な沢を、単独で歩いてきた私から見ると、仲間と一緒に登ることには、大きな意義がある。
 同じように沢を歩く仲間であっても、その得意とする能力は、それぞれに微妙に異なるのである。例えば滝登りを得意とする者があるかと思えば、高巻きで能力を発揮する者がある。また、地図読みで特段の能力を発揮する者があるかと思えば、それを苦手とする者もある。
 仔細に見れば個人の能力は一様でないことが分かる。単独で沢を歩く場合は、言うまでもなくその個人の能力によって歩き通す他はない。だが、仲間と歩くことによって、メンバーの能力を少しづつ借りることができる。TさんやNさんのクライミング力は、誰しも認めることだろう。Tさんには何度助けられたか分からない。一方、このNさんは、見かけに合わず、ヤブ漕ぎがうまい。谷川大源太川北沢本谷でのルートミスで突っ込んだ藪で、これは遺憾なく発揮された。ヤブ漕ぎは、体力が必要なのでNさんには基礎体力が備わっているということかも知れない。
 Sさんは、おそらくさわねの中で、最も優れた地図読みの能力を持っている。私も、地図読みには少しの自信を持っているが、Sさんと一緒に歩いていて、彼氏がルートを外してしまったことはない。地図読みは、方向感覚が備わっていて発揮されるものだろう。方向感覚は、生来のもののようにみえるので、地図読みの能力には個人差が大きいと考えられる。クライミングの力は、多くはトレーニングによるものと想像するが、高さに対する生理的な恐怖感の差によっても、上達に差が現れるように思う。
 もう会をやめたガクさんに聞いたことがある。「なぜ沢の企画をしないのか」と。思いがけない返事が返って来た。方向音痴だというのである。トップ引きができない、というのが、どうやら理由だった。だが、ガクさんは、必要なときには登攀力を発揮する人だった。ガクさんは、自分を小さく見せる術に長けた人だったので、「登れない」という彼の弁を、私はそのまま信じてしまっていた。だが、やはり北沢本谷の30m滝の中段カンテ登りや、同じ谷川笹穴沢の25m滝の右岸のリードは、彼の「隠された力」によるものだった。赤谷川笹穴沢の遡行では15mの斜瀑でもガクさんに助けられた。私が行き詰まった草付きの巻きで、苦労してルートを拾ってくれたのだった。確か、奥多摩の滝谷で会の遡行に参加したガクさんが、両門の滝で左の6mのトイ状滝をフリーで登ってしまった時には、私は思わず「危ないぞ」と注意してしまったのだった。今思えば自分の能力をさておいて、恥ずかしい限りである。この時は、ヨネもいたと思う。
 ヨネは、やはり会を辞めてしまったが、馬力のある女性だった。確か、奥秩父滝川の枝沢(熊穴沢)の7mCSで高巻きのルンゼ登りをリードした。ヨネは、大きな滝の登攀は苦手のようだった。その代わり、高巻く技術には長けていた。われわれが躊躇する巻きも率先して巻いた。だが、登れそうな滝でも巻いてしまうという傾向があった。それは、長く単独で歩いて来たための行動だろう。単独で歩くと、ロープで確保してもらえないので、なかなか登攀の力が付かない。その代わりとして、高巻く技術が研ぎ澄まされるのだろう。私も小さな沢を一人で歩いてきたので、そのような傾向にある。私の足のケガもあり、ヨネと歩いた山行は少ない。もう少し一緒に歩ければ良かったのにと今にして思う。
 同じ枝沢(熊穴沢)7mCSの巻きで、今度は落ち口への15mほどの下降である。とてもロープなしでは下降できないように見える。私は、下降点の狭いリッジでブッシュに捕まってその高度感に耐えていた。ところが、この急斜面を軽々とクライムダウンしたのは、クマチさんだった。私は正直驚いたし、命知らずの鈍感者か余程のわざ者だろう。私は、未だにクマチさんの山歴を良く知らない。どのような力を持っているのか、私には未知である。だが、踏み跡確かでない山を歩かせたら、彼女の右に出る者はいないだろうと思う。ただ、勘で歩く向きもあるので(失礼)、地図読み確かな者とタッグを組めば最強だろう。
 ことほど左様に、同じ沢仲間であっても、その能力とその得意とするところは、異なるのだ。仲間と歩くということは、これらの能力の恩恵を知らずに受けているのである。だが、いつも仲間とだけ歩いていると、このことが分りにくい。沢を単独で歩いたことのない者は、自身の本当の能力を知らないともいえる。われわれは、いつも総力で登っている。そのことが、仲間と登るということであり、そのことを忘れてはならないと思う。なお、遡行の楽しさや面白さは、沢を歩く技術だけで得られるのではない。言うまでもないことだろうと思うが、山での食事や会話、メンバーの人間性も遡行の質を大きく変える。企画力のある者、記録を残すのに達者なもの、山行を和ませる話術を持った者、メンバーに細かい配慮を怠らない者、などなど、みな貴重な存在である。沢歩きの術だけでなくても良い。なにか秀でたものを持って山行に望みたいものだと思う。だが心配することはない。人生長く生きていると。必ずその人に秀でるものがあるものだ。仲間と山行を共にしていると、つくづくそう思うのである。



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