2011.09.04 もう10年も前のことだが


 またまた、計画していた遡行が中止になった。なんども書いたのでもう聞きあきたかも知れないが、今年は、今度の魚野川万太郎本谷の遡行中止で6度目だ。今年は登る沢を絞って、モチベーションを上げてアタック、と考えたが気の抜けるような結果だ。すべて天候のせいなので、誰が悪いわけでもない。

 ところで、ふっと昔のことを思い出した。沢を初めて間もないころ、独り玄倉川小川谷廊下へ向かった。今思えば、ずいぶん無謀であったなと思う。その時は、確かF2で左岸を巻こうとしてすぐ行き詰まり、ほうほうの体で、その下のCS滝を降りて戻ってきた。それからしばらくして、懲りずにまた小川谷へ出かけたのだった。そのときは、最初の時よりも少しは考え方が進歩していた。大岩の滝が行く手を阻むであろうこと、仮にそこに固定ロープがあっても、その先のゴルジュで行き詰まるだろうことを、を予測していた。水をいとわず水に入れば活路が拓かれるということも経験で知るようになっていた。

 このときは、予測通り大岩で押し返された。固定ロープがなく、手がかり足がかりのない傾斜のある大岩だった。大岩の下を流れるスラブ滝を潜って超えようとしたが、技量が足りずあきらめるほか無かった。だがこの時は嬉しかった。小川谷の6mF2を釜に入ってルートを見つけ、白く美しいスラブ滝5mを左から登り、ツルツルの5m滝のゴルジュを左岸から上手に巻いて、そして大岩まで至ることができたからである。しかも、この「難しい」谷を自力で降りて来たのである。要所は懸垂したが、その支点の探し方を必要に迫られて学ぶこともできたのだった。幸運だったのかも知れない、ハーケンを持っていなかったのだが、いや持っていったかも知れないが使わなかっただけかも知れない。ハーケンを打たねばならないところに、すでに支点があったのだった。そして懸垂の必要なところには、丈夫なブッシュがあった。
 これには後日談がある。さらに一年ぐらい後だったと思う。またまた小川谷へ一人で出掛けたのだ。こんどは、二回目より、さらに進歩していたと思う。大岩を巻いてやり過ごそうという考えと石棚の滝20mでは阻まれるだろうという予測を立てていたのである。そこで、大岩を巻いたら遡行は成功と考え、右岸の支流、ヒエ畑沢か大コバ沢を上がって帰ろうという計画だった。だが、この時大岩の前で、自分より若い二人組に会った。二言三言ことばを交わしたと思う。上手な二人は、大岩で先行して自分の為にロープを垂らしてくれた。有難くロープを借りて念願の大岩を越えた。この時は嬉しかった。左岸のリッジを上がり5mの懸垂をすれば大岩をかわせるということも、大岩の上流から確認できた。若い二人にお礼を言って、別れようとした。あとは、支流を上がって踏み跡へ上がるだけだ。だが、この二人は、確保してやるから一緒に行こうと言う。その時はなぜそんなに親切なのかと思ったが、今思えばわかる。きっと心配だったのだ。おぼつかない技量の初老の男が、難しい谷を一人で引き返そうとしている。このまま放おって置く訳にはいかない。そう思ったのだろう。
 案の定、ヒエ畑沢も大コバ沢も急な滝で出合い、とても登れそうにないのだった。谷を下降すれば入渓点へ戻れる。すでに経験済みなので、これは確かだった。だが、ここにいたって決心した。申し訳ないが、この二人にお世話になろう。そう思った。二人に迷惑をかけないように必死に着いて行った。要所でロープを下ろし確保してくれた。複数の人間で登ることがこんなに心強いのかと思った。石棚も最後の垂直の滝も夢中で越えた。ダイナミックなゴルジュ、釜の碧い水の流れ、どれも小川谷廊下の美しさだった。人の手を借りた遡行だったが、心底満足だった。曲がりなりにも、念願の小川谷を歩き通せたのだから。嬉しかった。明るく開けた河原で、何度も何度もお礼を言って二人と別れ、右岸の踏み跡を飛ぶように走り降りたのだった。
 最近は、つくづくあの時のように胸が高鳴る、胸踊るような遡行をしていないなと思う。最近の遡行は、自分が遡行できるかどうかをまずはかり、その上で細部を調査して遡行に向かう。完登を前提にした沢の計画しかしていない。つくづくそう思う。ひとが歩いた、人が褒める沢を、完登を前提で歩く。安定した遡行といえばいえる。危なげない遡行といえばいえる。だが、それがどうしたというのだろう。独りで歩くのではなく、仲間と歩くことが、そうさせていることも確かにある。だが、それだけではない。すでに心がそういう遡行にしてしまっていると思う。完登しなければいけない、そう思う心が遡行を小さなものにしてしまっている。



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