北沢秋恵様










 お元気のようですね。詩誌、「差差」sasa 13号を頂戴しました。ありがとうございます。
 北沢さんの作品、「超えること」の次の最終行を読んで、現在、宿題になっている哲学の設問を思い出しました。「現代哲学への挑戦」(放送大学)の中間レポートの設問です。「今日の社会状況において、哲学することにはどのような困難があるか、意見をまとめよ。」

   深く考えるべき超えることを

   知っているだろうか私は
       (「超えること」最終行 原文は縦書き、以下同)

 「ひとりという空間」、「ノンフィクション」、「超えること」、どの作品も、独白ですね。誰かに何かを語るのではなく、自らに聞かせようとする静かな声が作品を支配します。
 「ひとりという空間」では、ひとりというのは、決してひとりのことではなく、さまざまな者たちの声の響きを聞くことだということを気付かせてくれました。

   音になった声
   波動になった音に
   全身をゆだねながら
   主題とも言うべき調べを聞き取って
   私が動き出す瞬間を
   一度か二度
   体験するために
   私は長いような短いような
   時間を過ごしている
       (「ひとりという空間」部分)

 「ノン・フィクション」は、長谷川潔氏の銅版画を思い起しました。もっとも、長谷川氏の暗い色調ではなく、明るい光が射すようなものでしたが。カーテンを閉じたり開いたりするたびに/小さな羽根がはばたいて/ゆるやかな風が起こる のリアリティは、なんとも快いものでした。あなたの胸にあった小さな石が溶けて/人肌のミルクになったこと は、隠喩として成立していないあやうさを感じましたが、私の感性の問題なのでしょうか。

   小さな陶器のことりが
   ある朝
   とても早朝
   羽根を広げて飛び立った
   無地のカーテンに
   空色の影をプリントして
       (「ノン・フィクション」部分)

 『ゾウの足跡』がきょうの午後届いた/インターネットで購入したのだ
で始まる作品「超えること」は、ひとつの種の絶滅の物語を政治的に語るのではなく、『ゾウの足跡』のプリントに、政治を超えるメッセージを読み取ったことが、この作品を詩として成立させていると感じました。

   超えることを考える人間がいて
   超えてきた
   深く考えるべき超えることを
   知っているだろうか私は
       (「超えること」最終部)

 ところで、「今日の社会状況において、哲学することにはどのような困難があるか、意見をまとめよ。」については、現在取り組んでします。しかし、いまのところ、一行も筆が進んでいません。難題です。このシンプルな設問は、当然のことながら、「今日の社会状況」と「哲学」の意味を正確に把握できていて、はじめて答えることができるものです。両者とも、私の頭では到底捉えられない深さを持っています。哲学の初学者に、このような設問をする、教授の頭も疑わなくてはなりません。とはいえ、あと一週間しか無い提出期限に、なんとかごまかしの答案を書きあげるしか無いと思っています。
                                2011.05.30 川崎英穂


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