記憶に残る沢1 2010


 今年も多くの沢を歩いた。大概は、「さわね」か「ウェクラ」の山行である。今年の沢の単独行は箱根新崎川と中ア正沢川細尾沢であった。最近、沢の単独行はめっきり減っているので、細尾沢は記憶に残る沢の筆頭に来るかもしれない。それについては、また後で書いみたいと思う。
 今年は、ガクさんとの山行が多かった。これは、昨年でもそうであったが、今年の山行ではそれが特に著しい。今年は、さわねの行事に参加する人が、様々な事情によって少なかったということとも関係しているだろう。また、ガクさんと私のめざす沢が似かよっているということも理由であると思う。二人とも、どちらかと言うとハードな沢は苦手である。それは、体力、技術ともさわねの前衛には、着いていけないという思いがあるからだ。もうひとつ理由を挙げるとすれば、ガクさんと高橋の波長が合っている、ということがあるかも知れない。もちろんこれは、私の思いであって、ガクさんとしてはえらく迷惑しているかも知れないのだが。という訳で、記憶に残る沢は、ガクさんとの遡行が多く出てくることになるだろう。

エビラ沢 丹沢神ノ川 2010.5.2〜3
 ガクさんとシーズン初め5月に歩いた、丹沢神ノ川エビラ沢は、したたかな沢だった。というより、我々の力量が足りなかったと言った方が良いだろう。記憶で言えば、歩いても歩いても先へ進んでくれない沢という印象が残っている。丹沢の沢は幾つも歩いているので、大概の感じはつかんでいるつもりだが、エビラ沢は大きい。歩いても歩いても、ルートが消化できないのである。懐の深い沢だと思った。滝も大きく、巻きも簡単ではない。そういう点では、大きな沢へ入るときのトレーニングには良いのかもしれない。
 ガイドブックによれば、5時間ぐらいが遡行時間になっている。我々は(ガクさんと私は)、確か9時間以上もかけて、稜線へ達したのだった。1100m
7m滝をリードするガクさん
付近からは、思わぬ雪渓に出会い、疲れを倍加させてしまう。雪渓が済んだと思ったら、今度は執拗に涸滝に苦しめられる。くたくたになって、夕刻の5時を過ぎてやっと稜線へ這い上がったのだ。稜線からは、踏み跡も定かでない尾根を二時間も下らなければならない。私は、この袖平山の北西稜は難しいと思っていた。ガクさんは結構疲れていたと思うが、下りを急がないわけにはいかなかった。暗くなってからの、知らない尾根を悠々と下る実力を私は持っていない。飛ばした。ガクさんが付いて来てくれるか心配だったが、ぴたりと私の後を追ってくる。
 いくら急いでも、明るいうちの下山はできない相談だった。経験の無い尾根で暗くなった。まだ、1時間ほどの下りが残っている。我々は、疲れていたが、冷静だった。その先の踏み跡が濃く、エビラ沢沿いの険しい下りもヘッデンを頼りに、歩くことができた。エビラ沢出合へ達したのは、出合を出発してから12時間後であった。ガクさんは、帰路、林道を走る車の窓から入る風に感動したという。感受性の足りない私は、ただ疲れたーと思っただけだったのだが。それにしても、大きな沢だった。


ス沢 片品川泙川三俣沢
 2010.5.22〜23
 5月のス沢の計画は、ジョーさん、西嶋さんチームの「大岩沢遡行〜ス沢下降」の本隊に対し、比較的体力を要求されない「ス沢遡下降」の別動隊を便乗させてもらったものだ。初日に同じテン場で一夜を過ごし、次の日に別行動するというのが理想と思っていた。だが、次の日、大岩沢の行動時間が長くなり過ぎるため難しいという判断をした。結局、ス沢の源頭辺りで合流できるだろうということで、出発から別々に行動することにした。だが、この構想は旨くいかなかった。合流できなかったのである。別動隊の出発時間が早かったことや、途中から雨が降り始めて気が急かされたことなどが原因していた。行動状況を互いに把握する方法がなければ、部隊の合流は難しいと悟った。様々な事情によって、行動時間に変化が現れるからだ。それは、前年の大行沢と穴戸沢を別行動して、樋ノ沢避難小屋で合流するという計画のときにも、気が付いていたはずだった。

ス沢出合のテン場  ゆったりとした時間が流れていく

 ス沢は、泙川を歩き、さらに三俣沢を遡ってその出合にようやく到達する。泙川は、湯之沢出合で三俣沢と名を変えたあとも、豊富な水がゆったりと流れている。岩のきれいな明るい沢であった。折から、新緑の淡いみどりが両岸を被い、我々の目を楽しませてくれた。ス沢出合に着いたのは、午後二時過ぎだった。焚き火を炊いて、それからゆったりとした山の時間を、夜遅くなるまで楽しんだのだった。追い立てられるように歩く遡行もあれば、こんなにゆったりと時間を過ごせる遡行もあるのだ。園田さんとクマチさんと私、三人で何を話したのだったか、まるで思い出せない。だが、互いに豊かな時間の中に浸っていたと思う。それにしても、園田さんが焼いてくれた、粒塩と胡椒を振っただけの牛肉は、絶品だった。生まれて60年間、自分の体験は何だったのか、と思わせるような肉の旨さだった。


庚申川本流 足尾山塊 2010.6.12〜13
 泙川三俣沢の南に皇海山がある。庚申川は、この皇海山すぐ南のピーク・鋸山を源頭とする。前年、庚申川の支流ササミキ沢を遡った帰り、林道の右下に庚申川が流れていた。谷は深く流れを見通せないが、岩に弾ける水の音だけが轟々と響いてくる。圧倒的な水量を感じさせる谷だった。そう簡単な谷では無いだろう、そう思わせるに十分な迫力を感じた。このダイナミックな谷をいつか歩いてみたいと思った。
 この思いは、早々に実現した。地元ウェクラの大橋さん、山崎さんと6月に挑戦した。庚申川へ向う自分の気持ちを表わせば、この「挑戦」という言葉がぴったりだった。自分の力に余る遡行だと思ったからである。
 いろいろ思案したあげく、林道下の難しいハイライトをカットして、庚申山登山口の水ノ面沢出合から入渓した。その選択は正しかった。体力、技術力とも不足する我々が、下流部のハイライトから遡れば、一泊二日で下山することは、難しかっただろう。
 庚申川は、小さな滝や淵をまじえたゴーロ歩きとなる。どの岩も黒く磨かれていて滑りやすい。そのため、随所で危ういヘつりになってしまう。ときにゴルジュの大釜や淵のある難しい所がある。だが、絶妙な巻き道が開拓されていて、探索を間違えなければ、容易に越えることができる。標高1250mで三才沢を分けた先のゴルジュは、踏み跡定かでない右岸の急な土壁をトラバースした。そう難しい訳ではないが、このトラバースが最も気を使った。庚申川本流が境川と名を変える二俣(1:1)で緊張の靴ひもを解いたのは、もう夕暮近くだった。

庚申川の特徴ある滝  滝は低いが、越えるのが難しい


 二俣上では、V字谷に大釜を従えた立派な滝が現われる。5mぐらいはあるだろう。釜を右から回り込めば、水流右を上れる。この先、次第に渓相は穏やかになり下草の生えた広闊な谷を歩くことになる。心休まる明るい風景である。両岸には、シロヤシオと淡い色のツツジがその美しさを競っていた。
 六林班峠から庚申山荘へ向う山道の景観も心に残るものだった。丈の低い笹が下草となった広葉樹の疎林で、見通しの効く明るい斜面だ。手入れの行き届いた広大な日本庭園を思い起こさせた。
 庚申川本流は、大きな滝は無いが変化に富んだ趣のある谷である。その谷の変化を時々に読み取り、細かな工夫を重ねて難所を越えて行くのが楽しい。いつかまた、下流部、林道下の核心部を、時間を掛けて遡行してみたいと思う。


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