御岳山を歩く高橋とクマチ姉御




10.12.06 さわねの品格
        **総会を終わって**









 もう4年ほど前のことであるが、***の品格というのがずいぶん流行ったことがあった。何故か分からないが、今日突然、「さわねの品格」ということばが頭に浮んだのだった。「品格」というと、山や沢を歩く小汚い連中には無縁の世界のことのように思われる。だが、私にはさわねという山岳集団とこの「品格」は、なかなかに良い関係にあると思っているのである。もちろん手前味噌だが・・・。私は、「***の品格」の火付け役になった坂東眞理子さんの著作を読んでいないので、「品格」というコトバを少し勘違いしているかもしれない。だが、せっかく思い立ったので、沢登りを無上の喜びとして集うさわねの「品格」について、極私的に考えてみたいと思う。
 まず、品格というのは、隠そうとしてもいやおうも無く現われてしまうもの、いわば抑えようとすれば、なお強く溢れてしまう湧き水のようなものではないかと思う。「品格」というのはちょっとやそっとでは急ごしらえ出来ないものなのである。例えば、夏目漱石の「明暗」という作品がある。この「明暗」を読むと、ちょっと文章を書いたことがある者だと、いとも簡単に書けてしまうと思えることがある。漱石の文章が平明だからである。もちろんこれは、錯覚にすぎない。漱石の人間観察とその品格は、とうてい真似できないのである。まあ、これは当然といえば当然で、何もことさらに私が言うべきことでは無いだろう。そうそう、「さわねの品格」だった。話を戻すことにしよう。

総会の夕刻、きりたんぽ鍋に腕を振るうジョーさん


 12月4、5日にさわねの総会があった。ここ数年は、奥多摩のバンガローで泊り込みだ。一日目の午後に今年の活動を総括して、次年度の計画を立てる。さわねは、月例の集会が無いので、この種の集まりは年一回しかない。今年は、初めて6月に例会をやったので二度目の会合ということにはなるが。二日目に、軽いハイキングで締め括るのがこの数年の慣例になっている。今年の奥多摩・御岳山のハイキングには、入会希望者のIさんが、参加してくれた。さわねが気に入って、入ってくれることを願う。
 今年の総会は、いつもと少し雰囲気が違う。新人募集の甲斐有って、5人の新しい会員を迎えているからである。ガクさんが募集のチラシとポスターを持って、スポーツ店に頭を下げ営業してくれたお陰だ。慣れないことで、相当に苦労したことだろう。さわねに限って言えば、営業活動はガクさんの右に出るものは無いだろう。赤坂で料理店を経営するガクさんは、職業柄かそれとも穏やかな性格のせいなのか、大変人当たりの良い人だ。だが、ガクさんを侮ってはいけない。鋭い観察眼を持ったリアリストでもあるからだ。その場の雰囲気をすばやく読み取って、頭をフル回転させる技量は只者ではない。私のように頭の固い人間からすれば、学ぶべきこと多い方である。そうそう、忘れるところだったが、ガクさんは無類の読書家でもある。山行の移動中、一冊の書物を読んでしまうとか仕舞わないとか。男女川の焚き火で、一冊の文庫本を火にくべてしまうのには驚いた。読んだ本は即座に捨ててしまうというのが流儀らしい。
 新人募集で、チラシとポスターの眼を見張るようなデザインをしてくれたのは、ジョーさんだ。ジョーさんのデザインには、プロの技を感じさせるものがある。おそらく、経歴の中にそのような仕事の経験があるに違いない。ジョーさんは、私からすれば謎の人でもある。入会したときは、確か大きな書店の外商部にいたと思ったら、いつの間にか研究用の空調のメーカーにいた。と思ったら、こんどまた転職したらしい。驚くのは、この就職難の時代に、すぐさま次の仕事を探して来るその早業である。もちろん当人にしてみれば、転職するのは大変だろうが、周りから見ていると、とてもそのように見えないのである。ジョーさんは、さわねの中では、最も優れたかつ慎重なクライマーである。基本的に滝の登攀は、支点が取れないことが多いので失敗が許されない。大切なのは「登れるかどうか」ではなく、「安全に登れるかどうか」なのだから。ジョーさんは、自分の能力を表に出さない、控えめな人でもある。私がもし会社のお偉いさんだと大胆な仮定をすれば、ジョーさんは、最も部下にしたい人物でもある。もちろん、ジョーさんにとっては大変迷惑な話ではあるだろうが。
 ガクさんが「冷徹な」リアリストであるとすれば、西嶋さんは「夢見る」ロマンチストである。西嶋さんのことは、あらためて書くまでも無いぐらいである。沢へ向かう情熱は他を圧倒して余りある。これは、会の誰しも認めることだろう。私は、長いこと実学を職業としてきたので、種別的にはリアリストだ。そのせいか、ときに西嶋さんの思考回路を読み取ることが出来ないことがある。だが、西嶋さんの体感的な話術は、魅力的でありこれも他を圧倒する。人間を引き付ける天性のものを備えているというのが、才能の無い私の見方である。私も西嶋さんのような天衣無縫な話術を身に着けたいとは思うが、望むべくも無い。
 クマチさんは、同郷のよしみのせいか、何か心許せる姉御である。これは推測だが、クマチさんは40年以上の山歴(キャリア)を持っている。山の話を始めると、少なくとも国内の山で知らない山は無いと思えるほどの博学である。もちろん、この点、さわねで右に出るものは無い。おしいことに、今年は体に故障があって、思うように沢へ入ることができず、さぞかしストレスが溜まったことだろう。来年はぜひ、穏やかで美しく、心洗われる沢を一緒に歩きたいものだと思う。さわねOB会の立ち上げを相談したが、即座に拒否された。まだまだ現役にこだわっているらしい。

御岳山へ向うさわねの仲間 この後にまだ四人もいる


 園田さんは、福の神の布袋さんそっくりだ。そんな体型でよく沢を歩けるものだと思うが、本人は意に介していないようである。生来の足腰の強さを持っているのだろう。布袋さんは、広い度量と円満な人格、そして富貴繁栄をつかさどると言われているが、園田さんにもそのまま当てはまるように思う。園田さんの話題は豊富で深い。体型に似合わず凝り性なのだろう。泙川のス沢で一緒になったとき、見たことも無い豊かな梅干を頂戴したが、それは自ら漬けたものだという。それに感化され、無精者の私も今年初めて南高梅を漬けた。薫り高い一品に仕上がった。おにぎりに使うと実にうまい(自慢)。園田さんの言動は、理屈を好まず単刀直入である。ときにさわねの混乱を切り抜ける羅針盤になることがある。おそらく、その力は言葉に含蓄されるやさしさから出るものだろう。
 Kさんは、表立った言動を控える貴婦人、マダムである。その点、園田さんとは対照的かもしれない。両者比べるのも変な気もするが。マダムとは、さわねの連中が誰とも無く言っているので、それに従ったに過ぎない。マダムは、高尚な趣味を幾つか持っているらしいが、自ら多くを語らないので、実態は不明だ。ダンスやら乗馬やら聞いたような聞かないような。ただ、無類のクライミング好きなので、近場のゲレンデに日々出没しているらしい。昨年は、よく沢を一緒に歩いたが今年は少ない。アルパインの魅力に惹かれているらしく、今年は北岳のバットレスに挑戦したようだ。確か、それから1ヶ月ぐらい後に、バットレスの岩が剥落したニュースを聞いた。言動を控える者は、たいがい鋭い人間観察の持ち主である。マダムもまた例外ではない。会話に溢れる品性も自然だ。
 高貫さんは、弁舌滑らかなご婦人である。言葉を操るのは、言うまでも無く脳なので、機関銃のようにことばが発せられるときは、驚くほどの速さで頭が回転しているのだろう。頭の中でことばが空転するばかりの私から見れば、うらやましい限りである。そもそも、ことばを操る脳の造りが、私とは違うのだろう。ことばの早い人には、思慮を欠く人が多いと言うのが一般の見方だろうが、高貫さんの場合には当てはまらない。その言動には、常に周りへの配慮が払われている。時に舌鋒鋭く批判の矢を放つことがあるが、それはその場の状況を読み取った上でのナタの一撃である。鋭いリアリストの面を持っている。だが、そこにはいつも、狭量さを廃した母性的な香りが立っている。
 下野さんの今年は不調だった。体調を崩されて、どの沢へも一緒に行っていない。私は、下野さんのある種の静けさと、アイロニーを含んだ会話が好きだ。総会で、久々にお会いしたが、思いのほか元気そうなので安心した。下野さんは、穏やかな沢が好みのようで、それは下野さんの人柄と相応しているようで面白い。昨年一緒に行った栗子山塊、烏川滑谷沢は下野さんの沢歴を集大成したような遡行であったと思っている。ぜひまたあのように見事な遡行に同行したいものだ。来年の私は、南アルプスの沢を歩き始めようと思っているので、同行して頂けるものかどうか。とはいえ、いずれも優しい穏やかな沢を選択するつもりなので、接点はあるものと思う。

 「さわねの品格」について、まじめに書くはずだったが筆が弾み、人物評に向ってしまった。どうやら竜頭蛇尾になってしまいそうだ。書く対象が面白いと、文章を統御するのはむずかしい。だが、以上の人物評を読んで頂ければ分かるように、さわねは人物の宝庫だと思う。私のひいき目なのだろうか。どの会員にも素晴らしい個性があり、そこには品格が備わっている。そう常々思っている。時には、偽悪的な会話が交わされることはあるが、いつも背筋は立っている。新しく入会された方のことは、正直まだ良く分からない。だが、「さわねの品格」に吸い寄せられるように集まってきた人々であるから、察して知るべしだと思う。さわねが創設されて以来、初めて多くの新会員を迎えることになった。これらの方々と活動する来年度は、さわねの新しい転換点だと思うのだが、どうだろうか。「さわねの品格」が、いよいよどっしりとした幹を形成するものと思う。


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