大見分岐点付近で



八丁池
  伊豆天城
2010年10月11日 晴れ
H、
高橋






プロローグ
 久しぶりに伊豆の山へ出かけた。特に理由があるわけではなく、年齢を経てようやくに「裏山もまた楽しい」という心境になった、とでも言えば良いのかと思う。家から1時間ほどかけて伊豆中央道を走り、天城トンネルの前で駐車する。旧天城トンネル上の天城峠を経て「上り御幸歩道」
1)を東へ八丁池まで歩くコースである。このコースは、もう40年近く前に歩いたはずだが、現地を歩いても全くその記憶が残っていなかった。さびしいことである。当時は、会社の仲間や友人同士で気軽に野山を歩くことが多かった。とりわけ私は、山以外の趣味を持つこともなく、のほほんと暮らしていたので、そういう傾向の友人が多かったのだろう。多くの友人たちと箱根や伊豆の裏山へ登った記憶がある。だが、さびしいことに、それが誰と何処へ登ったかという細かい点になると、全く思い出せないのである。たまに、その頃の友人と話しをしていてその辺の細かい記憶を聞かされても、それがあったのか無かったのかさえ思い出せず、何か門外漢に置かれるのをひどく寂しく思うこともあるのだ。
 この八丁池へのハイキングは、確か1971年に会社へ入社したときの同じ職場の同期生8人ぐらいと一緒に行ったと思う。そのときの新入社員は270人で、同じ職場に8人も所属になるというのは、その後も知らないから会社絶頂の頃だと今にして思う。その頃は、自分にとって登山といえば、森林限界以上の高い山に登ることであったので、ハイキングは登山とは考えていなかった。多分友人も会社の仲間もそう思っていなかったのだろう。なぜ、こんな話をするのかといえば、先日同好会の山行で「登山とは何なのだろう」、どこからが登山でどこからが登山ではないのだろうかという、観念的議論が沸騰したことがあったからである。例えば、ロープウェーを使って途中まで上がり、その後頂上へ至る「山登り」は登山といえるのかどうか。アプローチを車やタクシーで入った場合はどうか、ガイド登山は、本当に登山と言えるのかどうか、などなど、真正な「登山」とは何だろうか、という正統性を求めるような議論へ発展していったように思う。正統性を求めるというのは、大概の場合どこかに胡散臭さがつきまとうものである。だが、それ以来、「登山って何だろう」という素朴な問いが、繰り返し思い浮かんで来るようになった。何が満たされていれば登山といえるのだろうか。
 例えば、サッカーや野球をしているところを見て、それが小さな小学生のプレーであってもこれはサッカーと言えるのだろうか、という問いは生まれてこないと思われる。なぜ、「登山」の場合だけ、そのような問いが生まれるのだろうか。しかも、自分は登山をしていると思っている、言わば仲間内からそのような問いが生まれるというのは、なかなか面白い現象ではないかと思う。登山の項を辞書を調べてみれば、「山に登ること」、引用例として「富士登山」と、いかにもそっけない。山があって、そこに登る行為をしていれば、登山と言って良いようである。だが、それは私の「登山とはいったい何なのだろうか」という素朴な問いには全く答えていないように思う。

 1)上り御幸歩道は、昭和天皇が1930年に八丁池まで歩いた山道で、下りに使った下り御幸歩道もある。


上り御幸歩道
 だいぶ話がそれてしまったが、八丁池のハイキングのことである。トンネルの入口から天城峠へ至る上りは結構きつい。40年ほど前の時の記憶も、このきつさが頭にはっきり残っていて、八丁池ハイキングは心の中でずっと敬遠してきた。だが、「上り御幸歩道」を歩いて池へ出るこのコースはなかなかのものだと思った。そのコースのほとんどが、人工林を見ることもなく原生林の中を歩くことになる。その林では、見事なブナやヒメシャラ(姫沙羅)、カエデの巨木を見ることができる。そして1150m付近の八丁池に近付くにつれて太いアセビ(馬酔木)のトンネルを通ることになる。ヒメシャラやアセビは伊豆や箱根では多く見られる樹木である。ヒメシャラは俗称サルスベリとも言われる。幹が赤褐色をし、その肌はてらてらと光るように突起や割れが無く、木登りをすればいかにも滑りそうなのが特徴である。ブナの巨木は最近あちこちで聞くが、ヒメシャラの巨木はあまり聞いたことが無い。長いことこの辺りに住んでいても、このルートで見られたようなヒメシャラの群生と巨木を見た記憶が無い。そういう意味で、このコースはまれに見るといっていいだろう。とはいえ、古い記憶をすっかり忘れてしまう自分の言うことだから、信頼性にはかなり乏しいが。
 このまれに見る景観を楽しみながら、時間を忘れて歩いたせいだろうか、ガイドブックでは、二時間半ぐらいで歩けるとなっているところを、三時間半も掛かってしまった。そして、若いときに歩いてこのブナやヒメシャラの原生林を見ていたはずなのに、その記憶が何も残っていなかったというのはいかにも寂しかった。いったい何をしにここを歩いたのだろうか。今度のこのハイキングは、十分に「登山」であったように思うのだが、「山に登ること」という定義からは逸脱しているように見える。だが、「山に登る」というのは、「頂上に登る」こととは同義ではないと解釈すれば、これは登山だ、といってもいいように思うが、どうなのだろう。登山というのは、たぶん素朴で単純なものだと思う。ただ樹木の美しさに見とれて歩くだけでは、登山とは言えないかも知れない。とすれば、「登山とはいったい何なのだろうか」。
 付記しておくが、天城峠を経由する上り御幸歩道は、ほぼ原生林を歩くことになるが、下り御幸歩道は白砂林道までが原生林である。その下は、人工林となり、現在は、森林伐採も行われているので見るべきものは少ない。また、上り御幸歩道が歩道崩落のためにルートが変わっているので、ガイドブックの表記よりも余分に30分ほど時間がかかると考えておいたほうが良い。このルート変更のために、ヒメシャラの巨木やその群生を見ることができる。なお、標識は良く完備されている。八丁池は、モリアオガエルの生息地として知られる。湖岸が人工物で工作されているので、自然の景観が残されていないのが残念である。




天城峠のブナの根



向峠手前の尾根 ブナとヒメシャラの大木

 向峠手前 見たことも無いヒメシャラの巨木













同左  ブナの大木 下草が無く見通しが良い

向峠の先  ヒメシャラの群生  ヒメシャラの大木の群生は見たことが無い

美しいブナの枝振り 笹が枯れ下草は見られない


アセビの巨木のトンネル  これだけ太いアセビもなかなか見られない



左手東に見える相模灘(右手を望めば駿河湾が見える



八丁池  モリアオガエルの生息地として知られる


 下りの登山道で見たブナの巨木 幹の中央に洞がある


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