10.02.13  ギリシャ喜劇


 今から2500年ほど前の古代ギリシャのことである。ギリシャは、当時の大国ペルシャとの戦い、ペルシャ戦争に勝利してその勢いを増し、地中海の覇者としての地位を築いていた。まだ世界史の中にイエスが登場する前のことだ。古代ギリシャにその文化の隆盛を見たのは、その頃のことである。ペルシャ戦争は50年におよんだが、その後、ギリシャ国内の長い戦争が始まる。ペルシャ戦争で力を付けたアテネ陣営とその隆盛を危惧するスパルタ陣営との戦いである。この戦いは、ギリシャ人同士の戦いで凄惨を極めた。もっとも、戦争なんて凄惨に決まっているのだが、この戦いをペロポネソス戦争という。今日はこの戦争を語るのが目的でないので、その詳細はパスする。この頃の古代ギリシャでのお話を
二つほどしてみたい。

 アテネは、市民を城壁内に匿い海軍力でスパルタと戦う戦略に出た。だが、城壁内の人口が過密になってしまったせいか、呼吸器系の病と思われる伝染病が流行った。城壁内ではまたたく間に病が流行して、多くの住民が命を落とすことになった。最も悲惨だったのは、病に罹った者を誰も看病しなかったことであった。いうまでもなく、看病は自分の罹病と死を意味するからである。親も子も兄弟も夫婦も、その病によって遠ざけられ、病人は一人家に取り残されて死ぬほかなかったのである。だが、このような中にも人道に思いを寄せる人々はあり、自らの身の危険も省みず見捨てられた病人の看病に当たる者もあった。もちろん、これはテレビドラマではないので、そのような善良な人々は、同じ病で死地へ向ったのである。だが、この病は他の流行り病と同じように、一度かかれば再発しても大事に至らなかったのである。したがって、一度病にかかり治癒したひとびとは、幸福感に満たされ他の人々からも羨望の眼で見られるようになった。このような者は、自らの体験の悲惨さから病人や死者に深い憐れみを持って当たった、というのである1)
 筆者のトゥキュディデスはこの事実を淡々と記し、病になる者も、看病しない者も、する者も、悲劇の後に喜びに満たされる者も、偽りのない人間の姿として描いている。ただ人の世はかくの如くであり、それ以上でも以下でもないものとして。いうまでもなくこの逸話は、今では、いつ流行するとも知れない鳥インフルエンザのアイロニーとして見ることもできる。今年流行した豚インフルエンザは、どうやらこの「アテネの疫病」の事態をまぬがれたようだ。だが、人間性に劣る私のような人間にとって、できれば「アテネの疫病」は起こってほしくない。今までひた隠しにして来た人間性なるもののメッキが剥がれて、自分の姿が赤裸々になるのは、できるなら避けたいと思う。

 もうひとつの話はギリシャ喜劇の話である。ギリシャ悲劇というのは聞いたことがあるだろう。神話の形を借りて、人間の宿命と運命について、一族の血を血で洗う凄惨な出来事によって劇がつづられていくことが多い。そうとは知らずに自分の父を殺し、自分の母をめとるオイディプス王の悲劇については、聞いたことがあるだろう。だが、この悲劇ではなく喜劇(コモイディア)のことである。ギリシャの哲学者、プラトンがエロス論を展開する際に、ギリシャ喜劇の作者アリストファネスを登場させ、そのエロス論を語らせるのであるが、これがなかなか面白い1)。そのエロス論、「なぜ男は女に惹かれるのか、女は男に惹かれるのか」によれば次の通りである。
 アリストファネスによれば、昔の人間は球体の形をしていた。この球体人間は手足がそれぞれ二対、顔と局所も二対持っていたという。つまり、現在の人間を二人合体させたような大きなボールのような生き物が人間だったという訳である。この昔の球体人間は、心臓も脳も二人分あったため極めて強力な生きもので、そのうえ高慢だったという。このかつての人類は、神々に逆らうこともたびたびで、ついに神々の怒りにふれることとなり、神々の長(おさ)ゼウスによって、その身体を半分に引き裂かれてしまった。人間の力を弱めようとしたゼウスが悩んだ末のことであった。この半分人間が、現在の人間ということである。身体が引き裂かれる前に「男・女」の体を持っていた者は互いに異性に引かれ、もともと「男・男」や「女・女」の体であった者は、互いに分かれる前の同性を恋い慕うというのだ。われわれ人間は片割れだと不安なため、以前の安定した強い球体人間になる相手を求めてさまよう存在になった、というである。
 これが、喜劇作者アリストファネスの突飛なエロス論だが、喜劇としてはなかなか良くできていると思う。古代ギリシャでは、同性愛者が多かったのは周知の事実のようである。その点、ちゃんと「男・男」や「女・女」の組み合わせである同性愛の解釈もつけているところが、なかなかすばらしいと思う。近頃、お笑い芸人の活動は隆盛を極めているが、ちゃんと喜劇作者は付いているのだろうか。こういう話を知ってしまうと、現代喜劇のスケールの小ささと、品質の悪さだけが目に付いてしまう。プラトンのエロス論は、それなりに面白いのだが、やはりこの球体人間にはかなわないので、紹介するのはやめておこう。
                   
1)佐藤康邦「哲学への誘い」放送大学教育振興会 2008年


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