10.01.20  川の思い出2


 父親が盛岡市へ転勤になったあと、今度は3年ほどで宮城県の北に位置する片田舎の国立療養施設に転勤になった。小学二年の頃である。この地は、僻地といって良いような本当に何も無い所だった。私達は、ボンネットが出っ張ったバスで、30分掛けて町の小学校へ通ったのだった。父にしてみれば「最果ての地」といった感慨があったのではないかと思う。施設の官舎の周辺は山ばかりで、街臭いものは何も無かった。官舎目当ての小さな商店が、一軒だけあった。他は何も無かった。だが、自然は嫌というほどあった。山は遊び盛りの子供にしてみれば、こんないい所はない。周辺一帯が遊び場ということになる。母親とともに楽しんだ「遊び」を二つだけ記しておこう。
 その頃、その辺りでは風呂の燃料に亜炭を使っていた。亜炭は、なかなか火が着きにくい。燃やすのが大変だったが、安くて火持ちの良い燃料だった。燃えるときに特有の匂いを出す。鼻をつんと突く香りのある臭気だった。決して嫌な匂いではない。遠くから亜炭の燃える匂いがするとなぜか泣きたくなる、そんな思いがしたものだ。もしかしたら、自分だけだったのかも知れない。その特有の懐かしい匂いは、不思議と、薄暗い電球の下で、家族が食事を採っている情景を思い出させるものだった。
 母親は時々、芝刈りに出た。枯れた細い雑木を集め、亜炭の焚き付けにするのである。母は、山へ出掛けるのを楽しんでいたように見える。買って済ますこともできた薪を、わざわざ採りに出かけたのだから。秋の天気の良い日など、小学校前の妹と四年生になった兄と自分とで、官舎から10分ほど歩いた先の、アカマツの点在する雑木林へ出掛けたものだ。折からの日差しで、林の中は木洩れ日で明るくなっている。そんな山の中で、木々の間を飛び回っていると、自然に体も心も温まってくる。山へ入ると心が明るくなるということを、そこで母に学んだように思う。農家の長女に生まれた母にとっては、芝を刈るのもそれを束ねて担ぐのもお手の物だった。我々にはどうにもならない芝の重さを、軽々と背負って見せた。

 雑木林の中には、思わぬ所に堤(つつみ)があった。雑木を掻き分け薪を探していると、突然目の前が開け、水を湛えた溜池が現れるのだった。魚の気配を少しも感じさせないその池は、黒い水盤のように見える。深さが判然としないその池は、不思議な静けさを漂わせている。水際に眼を凝らすと、小さく動くものが騒いでいた。次の日、どこで見つけたのか、母親は化繊のレースのような布を出して来て、小さなタモ網をこしらえた。次の芝刈りの時にその堤を訪ね、そのタモ網を引いた。透き通った小さな生き物が、網の中で勢い良く跳ねていた。小さな川えびの群れであった。その晩、それは小さな皿に盛られて出てきた。もうあの神々しい姿はどこにも無く、やさしい桜色を帯びていた。
 川の思い出の中に、やや異質の想い出を差し挟んでしまった。だが、自分の人生を振り返ったとき、このときの母親との「遊び」は、自分が山というものへ特別の感情を持つようになった最初のことであったように思う。いわば、母親との芝刈りは私の登山の原点とも言えるものだったのである。


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