09.11.28 詩集のお礼

北沢様

 言葉の刺繍、「千枚の葉、ミルフィーユ」を頂いて、もうどのぐらいが経ったのでしょう。一ヶ月のような、二ヶ月のような。そんな単位の感覚で日常を過ごしています。少し恐ろしい気もしますが、今はそれを自分に許せます。 なかなか、詩を読むという気持ちが起きません。そのままになってしまいました。

 まだ詩集を四分の一ほど読んだだけですが、どれも習作の域を超えて、良質な詩的世界が獲得されていると感じました。この詩的完成に心から拍手を送ります。一時期はともに切磋琢磨して来た者として、誇りにも思います。
 詩集にあふれるのは、ことばのロジックではなく、ことばの色や匂いや熱のようなものです。いわば、ことばの魂がものの形を見せているような、そんな感じです。
 五月という季節の躍動が、みごとな表現として立ち上がる「五月」。詩の中から香り立つ匂いが、頭脳へではなく読むものへの生理を刺激する「ユーカリの雨」。空という単色の世界が、細やかな「ふるえ」であることを発見した「空もよう」。タイトルがすでに充分に詩的であり、夢と現実の混沌であるような「日常」をロジックではなく、詩的に描いて見せた「普通の日の雨の朝の日」。ことばが意味としてではなく、ことばが編み出したオブジェとして立ち現れる「石榴の目」。
 どれも、ことばがことばの意味に留まるのではなく、ことばを越えた(ことば以前の)混沌に関わろうとしてることが分かります。社会の中の人間存在を規定することばを破り、ひとが「言語に覆われる以前の、存在そのものをとらえようと」1)しているのだと。
                          1)朝日新聞09.11.25「オピニオン」谷川俊太郎



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